Kさんは私の高校時代の同級生で、卒業したあとも付き合いが続いている友人です。Kさんは昔は会社員でしたが、30歳代で退職して、居酒屋を経営するようになり、いまは京都市内の自宅の1階を店にして、夫婦で切り盛りしています。卒業してからもう40年が経つのですが、これだけ付き合いが続いている理由のひとつは、彼が店を出していることだと思うのです。彼がどこかの会社に勤めているなら、彼と何か話をしようと思えば、日時と場所を調整して合わないといけません。彼が店を出しているおかげで、彼と話をしたいと思えばいつでも彼と会えるわけです。
夫婦だけで切り盛りしている店ですから、5人も客が入ると雰囲気的にはもう満員。実際には20席ぐらいあったと思うのですが、そんなに人が入ると手が回りそうにありません。見たところ、ひとりか少人数のグループで来る人が多く、通りすがりの「一見さん」ではなくて「馴染みの客」ばかりのようです。Kさんにとっては、それはとても居心地がとてもいいのだそうです。どの人もKさんに興味や関心があって、Kさんと話をすることを楽しみに店に来てくれる。自分のことを好きな人に囲まれて、そういう人だけを相手にしていればいい。それがいいんだというような話をしてくれました。羨ましい限り。自分もそのような店を作りたいものです。
先日、彼の店を訪ねて、自分の Cafe & Library の話をしていたのですが、どうも「脱・コミュニケーション」というコンセプトが上手く伝わらない。Kさんにとっては、店はコミュニケーションの場なので、それをしない店というのがイメージできない。ネットカフェとどう違うんだ。ネットカフェだって、ブースの中に閉じこもって普段の煩わしいコミュニケーションから解放されるじゃないか、というのです。きのうの記事で紹介した焙煎ワークショップなんかを引き合いに、やっぱりコミュニケーションをしようとしているじゃないか、なんてことも言われました。
この場合、私が思っていることが伝わらないのは、相手が何か誤解をしているわけではありません。私に迷いとかブレがあるからなのです。それは以前の記事(2024/3/14付「此岸と彼岸」)で解決を試みて、結局未解決のままになった課題です。けれど、これもKさんと話したおかげで、少し出口が消えてきました。以前の記事(2024/2/26付「読書とコミュニケーション」)で、「De-Communication」の先に「Re-Communication」を目指すという趣旨のことを書いているのですが、それをきちんと他人に理解してもらえるレベルまで落とし込んで、自分なりに確信を深めていく必要があるのだと思います。
人間は、誰かと協力したり、ときには組織や社会を構成しないと生きていくことが出来ませんから、コミュニケーションに対する欲求は本能的な欲求だと思うのです。ところが、市場経済の中で、言い換えればすべてがカネ勘定という記号に還元されてしまう世の中の仕組みの中で、商行為としてのコミュニケーションや、自分の労働力としての価値を高めるためのコミュニケーションばかりを求められ、そうしたコミュニケーションによって自分の価値を高めることが出来ないことを障害や病気として捉えるような社会が出来てしまうと、そこから逃れたいという欲求も生まれてくる。そういう欲求を持った人たちに「脱・コミュニケーション」の場を提供する。そこまではいいのですが、住み込みの施設を作るわけではありませんので、Cafe & Library に来た人は、その日のうちにそこを出ていかなければなりません。その戻る先が元の煩わしいコミュニケーションを求める社会だとすると、そうした「脱・コミュニケーション」の場を「消費」することが商行為の対象となってしまう。ネットカフェなんかはその典型だと思うのです。
そこで大切なのが「Re-Communication」。コミュニケーションの再構築だと思うのです。Cafe & Library を出た後に戻る世界を、もともとその人がいた煩わしい世界の外に作って、そこに戻ってもらう。そうしないと、コミュニケーションによって息苦しい思いをしている人の本当のニーズには応えられないと思うのです。その「Re-Communication」の切っ掛けが読書であったり、焙煎ワークショップだったりする。そんな構図だと思うのです。
それを押しつけがましくするのではなく、できるだけさりげなくやりたい。現代社会に息苦しさを感じるという問題を解決できるのは、その息苦しさを感じている当の本人しかいません。私が何か助言をして解決するわけではないのです。カウンセラーでもありませんから。だから、「新しいコミュニケーションの扉を開こう」などというキャッチコピーはやめて、「本と静寂が織りなす空間であなただけの時間を」などといった、静かな空間とゆっくり流れる時間をアピールする。それが前面にあるので、その背景にある構図は分かりにくいのですが、それは敢えて分かりにくくしているだけであって、私はちゃんとわかっていないと駄目なところです。
ここへ来る人の背中をそっと押してあげる。
それはあくまでも「そっと」であって、あまり力強く押してしまうと、その人を却って苦しめることになってしまいます。
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