2024/02/26

読書とコミュニケーション

  「脱・コミュニケーション」をひとつのコンセプトとしながら、私は、この「Cafe & Library」を利用する方が、自分のペースでコミュニケーションを取り戻すことも願っています。「De-Communication」の先に「Re-Communication」を目指そうという人に、その切っ掛けを作ってほしいと思うのです。私自身がそうしたいと思っているから。

 だけど、それはけっして他人から強いられるものであってはいけません。私も、利用者にコミュニケーションを強いることはしないようにしたい。私から利用者に積極的に話しかけたり、何かを教えてあげようとか、紹介しようとか、そういうお節介はできるだけやめようと思うのです。

 唯一のお節介は本を並べること。

 私の図書館の本は、すべて私がこれまでの人生の中で一度は手に取った本です。ほとんどが読んだことのある本です。だからすべてがお勧めなのです。本を並べているだけで、すでに私からの情報は発信されています。

 コミュニケーションというと、1対1で情報が相互に発信されあう双方向のものを想像しがちです。直接会って会話することとか、メールやLINEのやりとり、古くは文通や交換日記など、どれも常に特定の相手がいて、相手の反応を気にしながら情報を発信します。けれど、大勢の前でお話をして相手を惹きつけたり、相手との間に信頼関係を構築したりすることも、コミュニケーションのひとつだと言えます。世間にはユーチューバーと言われる、情報発信能力に極めて長けた人もいます。この人たちの情報発信もコミュニケーションのひとつの形態でしょう。そして、その話を聞いて理解するとか、その動画を見て楽しんだり知見を拡げたりすることも、コミュニケーションの一部だと思うのです。

 そう考えてみれば、読書だってコミュニケーションじゃないかと思うのです。作者が文字として書き記して発信した情報を受け取る。受け取れば自分の中に何かの変化があります。これまで考えていたことが変わる。これまで考えていたことが確信に近付く。これまで考えてもいなかったことに気付く。読書は、読者に様々な変化をもたらしてくれるコミュニケーションだと思うのです。

 そして、この読書には、他のコミュニケーションにはない特徴があります。それは強いられないことです。読者は、誰に強いられるわけでもなく、自分の意志で、そして自分のペースで文字を追うことが出来ます。戻るのも自由。本を閉じて休むのも自由です。現代社会では、こういう落ち着いたコミュニケーションがずいぶん失われているように思います。文通や交換日記は、返事を返さなければいけませんので、その意味では読むことを強いられてはいますが、読むペースは自分の思いのままです。それがメールになると、比較的短期間のうちに返信をすることを強いられます。Lineだと、既読になってすぐに反応がないとコミュニケーションが上手くいかない原因になってしまうこともあります。動画の視聴、テレビやラジオ、映画鑑賞など、どれも情報が相手のペースで送られてきて、その情報を相手のペースに合わせて吸収し分析し解釈していかないといけません。

 けれど、本だけはそうじゃないのです。

 本を通じて情報を発信しているのは、その本の作者だけではありません。私の図書館では、本を並べることが私の情報発信なのですから、私の図書館に並べられた本を手に取ってくださるだけで、あるいは、私がかつて手にしたその本に関心を持ってくださるだけで、私から発信された情報はその方に受け入れられたと言えます。それで無理に感想を求めたりはしません。それだけで十分なのです。さらに言えば「Cafe & Library」という空間だとか、そこで過ごす時間が私の発信している情報なのですから、そこを訪れていただくだけでも、私が発信した情報が受け入れられたことになります。

 図書館やカフェをコミュニケーションの新しい拠点のように語る方もおられます。それはそれで立派な考え方だとは思うのですが、私の「Cafe & Library」にできることは、そんな積極的な意味でのコミュニケーションではありません。ただ本を並べるだけ。私にできることなんて、せいぜいこんなとことです。それよりも、まず、ここに来る方が、抱え込んでいる煩わしいコミュニケーションから解放されて、読書という新しいコミュニケーションの中に逃げ込める場所を作りたい。私の本でなくても、自分で持ってきた本でもいい。そういう場所を作りたいのです。ここでは友達の顔色を窺わなくても構わない。多数派におもねることも、権力を持つ人にすり寄る必要もない。本の中に逃げ込んでしまえば、誰もあなたを追いかけては来ません。そういう場所にしたいのです。




佐藤友則, 島田潤一郎 著. 2022. 『本屋で待つ. 夏葉社.

「ウィー東城店も同じで、本のほかに、文房具、タバコ、化粧品、CDを取り扱っているが、主軸は本だ。…本がもっとも信頼される商品だからだ。…本は人々の生活に根づき読む人にいろんなことを教えた。…問う人がいればだれかがその問いにこたえた。本への信頼とは、つまり、そういう多種多様な問答の積み重ねによって築き上げられたもので、一朝一夕にできあがったものではない。学者や、作家や、マンガ家といった人たちが、長い時間をかけて、その信頼を築いたのだ。毎日レジに立っていると、そうした本への信頼をひしひしと感じる。」(pp.64-65)

これは図書館の目指すところと同じ。図書館情報学では、司書に「指導的立場」を求めるのですが、この本を著した本屋の店員さんがしていることは、もっと泥臭くてベタな感じがします。「教えてあげよう」なんていう立場ではなく、ただ頼まれたから断れなくて仕方なくするという感じ。ここに紹介されているのは、けっして「脱・コミュニケーション」ではないのですが、でも、本の可能性について語られていることはごもっとも。これがいいです。

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