2024/02/23

入試のアルバイト

 オープンキャンパスで高校生に話を聞かせる学生がみんな下を向いて話していたという娘の話を聞いて、思いたる節がありました。

 私が務めているのは大手の私立大学ですから、全国各地で入学試験を実施します。その時期になると、職員は順番に借り出され、通常の業務を離れて入学試験のための業務に携わります。

 入学試験を実施するということは、会場を設営したり、問題を運び込んだり、試験監督をしたり、答案を整理して採点会場に送り届けたりと、いろんな仕事をしなければなりません。全国で実施するとなれば、同時に千人以上の要員が動員されます。職員だけで足りないところは、昔は試験地近くに帰省している自大学の学生に声を掛けて手伝ってもらったりしていたのですが、いまは派遣会社を使って、自大学とは縁もゆかりもない人を雇い、設営だとか、受験生の誘導だとかといった間接的な仕事をしてもらっています。

 こうしたスタッフに対するガイダンスの指針が入学センターとい部局から示されるのですが、服装、持ち物、勤務中の携帯電話の扱いなどということがこと細かく書かれいるのです。書かれている内容は「暖かくて動きやすく清潔感がある服装」といった、細かいわりにどうすればいいのかよく分からない内容なのですが。ほかに「受験生から何か質問されたら必ず担当の職員に伝えて指示通りに回答してください」などと言ったことが書かれていて、私に言わせれば「決められたことだけを決められたとおりにやって、余計なことはするな」というような内容です。入学試験は、全国20か所以上で行いますので、少なくとも20人以上の職員が、私が務める大学とは何の縁もないアルバイトを相手に、こんな指針に基づいてガイダンスをしているのです。失敗したらマスコミネタになって大変だから気を付けるように、などという説明をしている職員もいるようなのですが、アルバイトで雇われる方にとっては知ったことではありません。

 入学試験の会場で受験生がスタッフに何かを質問するのは、ただ分からないことがあるからではなくて、その背景に何か不安があるはずです。スタッフの仕事は、ただ聞かれたことに正しく答えるということではなくて、受験生のその不安を取り除いてあげて、受験に全力で専念できるようにしてあげることだと思うのです。そういう説明をすれば、アルバイトの人だって、自分がどんな服装で来てどんな態度でいればよいのか、しっかり考えてくれるはずです。

 入学試験もオープンキャンパスも、入学センターという部局が中心になって運営します。そこで動員される派遣のアルバイトや現役の学生に対する説明が、言われたことだけを言われたとおりにしてくれていたらいい、という内向きな指向になっていたとすれば、演台で説明する学生が下を向いて話しているのも道理です。もっと言わせてもらうなら、余計なことをせずに言われたことだけを言われたとおりにせよ、という姿勢は、学生スタッフや派遣スタッフだけに向けられているのではなく、私たち現場の職員にも向けられているのではないか。そうだとすれば、再雇用された人が大切に扱われていないように思えるのも道理に適っています。

 入学試験の準備と言えばこんなこともありました。派遣会社が送ってくるアルバイトは、試験を実施する町の大学に通う大学生の場合が多いのですが、ある年、派遣会社が集めてくれたアルバイトの人の中に高齢の方がおられました。腰を痛めておられるのか、階段の昇り降りなどはちょっとたいへんといった感じの方でした。受験生が全力で受験に専念できる雰囲気を作る、という意味では、こういう方がおられるのも有難いことです。受験生へ案内する内容によっては、高齢の方から伝えていただく方が効果的だったり、よりソフトに伝えられたりすることもあります。ただ、会場の設営となると、会場と控室の間を何度も往復したりしないといけませんのでご負担かもしれません。それで、その方には、試験進行本部での準備を手伝っていただくことにしました。

 ところが、10分ほどするとその方が私のもとにやってきました。その方が言うには、本部の準備で間違われては困るので、私から「間違ってもいい仕事」をもらって来いと、本部担当の職員から言われたというのです。私は言いようもなく腹が立ちました。その方に対してではなく、「間違ってもいい仕事」をもらって来いといった職員に対してです。実際、その方は書類の書き方を間違われたようなのですが、そんなことは関係ありません。大学からやってきた職員が、その方にきっちりと説明して、その方がちゃんと理解したかを確かめて、その上で作業をしていただいて、間違いがないように気を付けなければいけないのです。それをせずに、間違いの原因を一方的にそのアルバイトの方に押し付けることは許されません。試験進行本部には、大学から現地入りした3人の職員がいました。それを言ったのはその3人のうちの1人ですが、残りの2人もその場に居合わせてフォローしていないのだから同罪です。

 私は、3人の中から犯人を探し出して喧嘩口調で捻じ伏せてやりたいのをじっと我慢して、精一杯の「大人の対応」を心掛けたのですが、3人の行動はどんどんエスカレートしていきます。誰かが、派遣会社にクレームを入れた方がいいと言ったようで、3人のうちのリーダーが、派遣会社の担当者に、入試の業務だとわかっているのにこんな高齢者を寄越してくるとはどういうことだ、といった叱責をしているのが聞こえてきました。私に対しても「あんな人を押し付けられてたいへんでしょう」と同意を求めてきます。コミュニケーション能力のある職員ならば、そういうときは曖昧な態度をとるという「大人の対応」が出来るのでしょうけれど、正直な私は、「いえ、そんなことはありません」と言葉を濁さずに返事をしました。相手は困った表情をしていました。たぶん私は相手を睨みつけていたのでしょう。

 そういえば、最近、私もときどき腰痛に悩まされます。もうこの会社では「間違ってもいい仕事」だけを言われた通りにするしかないのかもしれません。




村田沙耶香. 2018. 『コンビニ人間. 文藝春秋.

人とのコミュニケーションが上手くできない主人公が、コミュニケーションを極限まで単純化したコンビニエンスストアに生き場を見出す。仕事は複雑なように見えても、アルバイトだけで回せるように標準化されていて、決められたことを決められたとおりにすればいいようになっている。店員同士のコミュニケーションも、店員と客とのコミュニケーションも、表面的で儀礼的なものばかり。…だったはずなのだが、あるところから主人公を取り巻くコミュニケーションがいっきに複雑化する。


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