2024/03/14

此岸と彼岸

 彼岸の図書館にやって来て、一方では、司書の方とお話がしたい、自分がここに来た経緯を聞いてほしいと思い、他方では、現代社会の複雑なコミュニケーションを煩わしく思い「脱・コミュニケーション」を掲げて Cafe & Library を作ろうとしているという、矛盾した思いが自分の中にあることに気付きました。それも「これはこれ、あれはあれ」と切り離して考えることが出来ないほど、気持ちの中のごく近い場所にです。構想から妄想に逆戻りした私の Cafe & Library は、混迷の沼に嵌まってしまったようです。
いったい自分は何がしたいのだろう
このブログを書きながら、あらためてそんなことを考えました。

 ヒントになったのは「お気に入りのカフェ」の記事で紹介した『月と六ペンス』だったかもしれません。仕事にも家庭にも、何の不満もない男が、すべてを捨てて画家になる。彼が求めたのは、カネ勘定で測れない幸福、他人からの評価では問うことの出来ない幸福、自分でしか価値を見出すことが出来ない幸福。すべてがカネ勘定で測られカネ勘定で評価される世界から脱したところに、彼の求めた世界があったのではないか。自分もそうなのかもしれない。そんなところから、自分が本当にやりたいことを見つけよう、などという、多少、青臭い気持ちが湧いてきました。この青臭さのことについては、また、どこかで改めて記事を書こうと思うのですが、いまは自分も、就職活動をしながら自分の将来を真剣に考えている学生と同じ立場なんだ、なんてことが脳裡を過ぎります。

 それはさておき、自分が「脱・コミュニケーション」を掲げたときの「コミュニケーション」と、この彼岸の図書館で自分が求めた「コミュニケーション」とは、大きな違いがあります。彼岸の図書館は商業施設ではありません。カフェで来店客に「いらっしゃいませ」と声をかけるのは商行為です。けれど、ここの司書さんが利用者と交わされる会話には商行為の要素がない。私たちは市場経済という枠組みの中にどっぷりと浸かっていますので、店員と客のコミュニケーションだけではなく、例えば、会社で上司にお愛想を言ったり周りに気遣ったりといったコミュニケーションも、それで「あいつはコミュニケーション能力がある」とか「ない」とか評価されることも、すべてが商行為だと言えます。コミュニケーション能力は、市場経済の中での自分の労働力として価値を高めます。言い換えると、労働力の価値に結びつかないコミュニケーション能力は、そもそもコミュニケーション能力とは認められない。私たちは、こうして、すべてがカネ勘定に還元される世界で他人から値踏みされ、そして知らないうちに自分もカネ勘定で他人を値踏みしているのです。そうじゃない世界を作りたい。それが Cafe & Library の出発点のように思うのです。
だったらカフェなんていっておカネ取るの止めたらいいじゃん
確かにそうかもしれません。彼岸の図書館があるその「彼岸」まで、いっきに川を渡ってしまうのもひとつの考えかもしれません。しかし、彼岸の図書館は、何の努力もなしに一夜にしてそこに出来たわけではありません。そこにある本の蓄積だけをとってみても、私など足元にも及ばないのです。私はその岸まで辿り着けるのか。川を渡る前の川岸で、まだ渡るか渡るまいかと思案している自分もいます。





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