彼岸の図書館のような施設を運営するにもいろいろな覚悟が必要だと思うのですが、読書カフェを作りにも、やはりいろいろな覚悟が必要だと思うのです。図書館に来る人と違って、読書カフェに来る人はおカネを払います。おカネを払えば、その対価に見合ったサービスが得られたかということを値踏みします。おカネの多寡には関係ありません。自分が提供するサービスも、自分が作り出した空間も、そして自分自身も、そういう評価に晒されるのです。その評価はシビアです。そして常に減点法です。嫌なことがあれば二度と行こうとは思いません。
雰囲気も良かったし、コーヒーも美味しかったけれど、BGMが煩くて落ち着かなかったな
と思えば、もうその人は来ないと思っていた方がいいでしょう。「BGMは煩くて落ち着かなかったけど、雰囲気も良かったし、コーヒーの美味しかったから、また行こう」と好意的に評価してくれるとは、あまり期待しない方がいい。そうなるのは、常に来訪者の方が立場が上だからです。来訪者は、たとえ少額であったとしても、自分はおカネを払っているんだという意識でそこに来ます。それに見合うサービスが提供されるのは当然のことなのです。
そういう世界から離れるために Cafe & Library を作りたいのに
でも、ここは自分で覚悟を決めないといけない。おカネ儲けのためにカフェをやるのではないという確信と、こういう場所を作りたいんだという明確なヴィジョンを持っていれば、だれも来てくれなくて売り上げが伸びないからといって、もともとのヴィジョンを捨てて、万人受けするような、つまりは何処にでもあるようなカフェを作ることもないと思うのです。
ひとつのカギとなる考え方は、なにか「成功する」ことを考えるのではなく、「失敗しない」道を、ゆっくりといつまでも歩いていく、ということではないか。例えば、このカフェのために借金を重ねて老後の生活がままならなくなるというのは「失敗」ですが、このカフェで何百万も稼ぐとか、カフェの規模を大きくするとか、人を雇って事業を拡大するとか、そういう「成功」を考える必要なんてないのだと思うのです。人間は欲が深いですから、ちょっと軌道に乗ってきて稼ぎが出てくると、もっと稼ごうと思ってしまう。そうなると、最初のヴィジョンなんてどうでもよくなって、稼ぐためにはどうしたらいいか、ということばかりを考えてしまうんです。そうすると、おカネを払う来評者に迎合することになる。インスタ映えするメニューを作るなんてことを考えたりしてしまう。
そうじゃないんだ。
自分が提供したい時間と空間を作り出すための能力と機会を、この市場経済の中で手に入れていく。けれど、その市場経済の中に身を投じるのではなく、その市場経済から離れることが出来る時間と空間を作るのだ。カッコよく言えばそういう覚悟かも知れません。もっとベタに言えば「成功しない覚悟」かも。
いや、それ以上に、自分の思いとは関係なく、カネ勘定と他人の評価に、学校や会社というクッションなしに、直接自分が晒されるという覚悟。その中にあっても自分を見失わないという覚悟。妄想から始まって、やっとそんなことが分かってきたように思います。
石田三成率いる2万人を超える豊臣軍を前に、わずか3千人で忍城に籠城する成田長親。成田家は、北条に味方すると見せかけて、裏では豊臣に内通している。
「戦いまする」
和戦いずれかを問う光成の使者に、決定的な一言を発する長親。唖然とする家臣。
「強者の侮辱にへつらい顔で臨むなら、その者はすでに男ではない。強者の侮辱と不当な要求に断固、否と叫ぶ者を勇者と呼ぶなら、紛れもなくこの男は、満座の中でただ一人の勇者であった。(上pp.181-182)
しかし、この一言によって、領地も領民も地獄の戦いに巻き込まれていく。領主たるもの、このような私情で軽はずみに戦いをしてはならぬもの。ところが、この領主は、とにかく人に愛されている。
「のぼう様が戦するってえならよう、我ら百姓が助けてやんなきゃどうしようもあんめえよ。」(上p.212)
こうして、関東平野の小さな城で戦国史に残る戦が始まる。
時代小説というのは、残されている史料をもとに作者が創作したフィクションです。この小説には、その時代を支配する論理に一矢報いようとすることに対する作者の共感が込められているのだと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿