大河ドラマ「どうする家康」で三河一向一揆が描かれたときに、家康が治める三河国の中にあっても大寺院には不輸不入の権利が認められていて、そこに逃げ込んでしまえば、年貢の取り立てからも役務からも逃れられる、アジールのような場所が描かれていました。家康が不用意にそこから年貢を取り立てようとしたことから、家臣団を二分し親子兄弟で戦うような修羅場の戦になっていくというストーリー。現代社会の根底に市場経済と貨幣至上主義があるように、中世は、武力のある者がすべてを支配する世界で、それによって息苦しい思いをしている人もいれば、当時のことですから、精神的な苦しさだけではなくで、物理的に虐げられたり生命さえも危険にさらされたりしている人もいたことでしょう。不輸不入の権利によって守られている大寺院は、そういう現実から逃れられる、まさに「駆け込み寺」だったのかもしれません。
私が作ろうとしているのは、こういうアジールなのかもしれません。
近代になっても、農村には古いしきたりが残り、前近代的な息苦しい社会が残っていたのかもしれません。近世にはそれを息苦しいとは感じなかった人も、近代的なものの考え方に触れれば、それを息苦しいと感じたのかもしれません。そういう人にとって、近代的な建物が立ち並び、大きな工場に大勢の工夫が働く都会は、巨大なアジールだったのかもしれません。しかし、中世においても近世においても近代においても、それらのアジールは決して楽園のようなところではなかったのではないか。アジールの中にも厳しい労働があったり、理不尽な戒律があったり、武力が世の中を支配する世界では、アジールもそれに対抗する武力を持ち、貨幣が世の中を支配する世界では、アジールが貨幣の集積場となることで、アジールとしての機能を果たしてきた、といえるのではないでしょうか。そして、そのアジールの中に生まれた新しい息苦しさが、また新しいアジールを必要としている。けれど、そのアジールもまた、貨幣が支配する世の中の外には作れないのではないか。
カフェを作って運営するには、どこか場所を用意しなければいけません。そのためには月々の家賃が必要です。人を雇う気はないのですが、いろいろな器具は用意しないといけません。調理器具にしても冷蔵庫にしても、ひとつひとつが数十万円。リースにすればそれぞれ月々数万円が必要です。上手く運営していこうとすればするほどおカネが必要になる。すると、それを回収するために売り上げのことを考えないといけなくなって、結局、貨幣と現代社会の論理に支配されたカフェが出来てしまう。それでは、煩わしいコミュニケーションから逃れられる時間と空間を提供するという Cafe & Library のコンセプトは実現できません。
結局、私の能力と覚悟が試されている。
私自身が現代社会の息苦しさから逃れたいというだけでは、この構想はいつまでも妄想のままで終わってしまいます。その息苦しい現代社会に自ら飛び込んで、カネ勘定と他人の評価に晒されながらでないと、少なくとも「カフェ」という形式でこんなアジールを作り出すことはできないでしょう。
そうでないなら… 例えば、彼岸の図書館では地元で山を持っている人に気を切り出してもらって本棚を作ったと言います。そういう市場経済とはまったく違う論理で必要なものを得ていく。本棚だけでなく、食べ物だって、庭の畑でとれた野菜と、飼っている鶏だけで生活する、といった、市場経済とはまったく違うところに飛び込んでいく覚悟が必要です。それこそ妄想の世界。彼岸の図書館でもそこまでは徹底していないでしょうし、そこを目指しているわけでもないでしょう。
武力にものを言わせて年貢を取り立て役務に借り出される世界に抗うアジールを作ろうと思えば、やはりそのアジールを武力で守らないといけない。市場経済の息苦しさから解放されるアジールも、やはり市場経済の原理で作っていかないと実現しないのです。しかも、これまでのように、自分を守ってくれる現代社会の鎧はない。これまでは、学校で習ったから、先生に言われたから、会社で決められたことだから、上司に言われたから、ということで、ずいぶんいろんなことを免責されてきたと思います。その所為で息苦しい思いもしましたが、そのおかげで気楽な気持ちでいられたこともあります。これからはそうはいかない。そういう覚悟が必要なんだと思います。
歴史の中に、学校で教えてもらったこととは違う、何かものすごく大事なことがある。本当に歴史を動かしてきたのは、戦国武将でも勤王の獅子でもなくて、もっとその時代の人々の生活に密接にかかわってきた何かではないか。この著者の本を読んでいるとそんな気がします。そんなことを知ることが、学校でいい成績を、とって友達をたくさん作り、クラブ活動で活躍して、いい大学に行って、いい会社に入って、たくさんお給料をもらうという、既存のルートを離れていくための糧になるような、そんな気がしなくもありません。
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