2024/03/16

ふりだし

 いったい自分は何がしたいのか。

 それに対する端的な答えは見つからないのですが、彼岸の図書館と同じところを目指しているわけではありません。司書さんの著書を読んで「静かに滔々と流れる大河」を感じたのですが、おそらく彼女の人生の流れは、いろんなところを流れ、いろんな壁に行く手を阻まれながら、流れに流れて、そしてこの彼岸に辿り着いたのでしょう。それを真似ることに意味はありませんし、また真似ることもできないと思うのです。

 その図書館は確かに彼岸にありました。私が息苦しいと思っている此岸ではなく、私を迎え入れてくれる彼岸です。私が思うに、此岸で息苦しい思いをしている人は私だけではなく、いまは気付いていなくてもこれから息苦しく思うかもしれない人も含めれば、けっこう多くの人がそう思っていると思うのです。そして、彼岸の図書館がそれを全部受け入れてくれるわけではないはず。思いはひとりひとり、少しずつ違いますから、此岸で息苦しい思いをしている人すべてが、彼岸の図書館で迎え入れられる訳ではなくて、その図書館が建っている彼岸とは別の彼岸を求めている人もいると思うのです。そこに Cafe & Library を建てたい。それじゃ、それは何処なのか。それは、こうして机上で言葉を引っ搔き回していてもなかなか答えに辿り着けないように思うのです。

 カネ勘定と他人の評価に流されずに、自分のやりたいことをする、というのはとても大変なことだと思います。よほど自分のやりたいことに確信を持っていなければ、必ず流されてしまう。現代社会という枠組みはそれぐらい強固で、そこから逃れて彼岸に行こうとしても、それを此岸に押し戻そうとする大きな力があるように思うのです。それに、自分が行こうとしている彼岸は、ここからは良く見えないし、どこに向かって進めばいいのかもわからない。

 けれど、こうしていろいろ書き連ねる間に、此岸のことは少し見えてきたように思います。普段、地球が丸いことや地球が自転していることを意識している人はあまり多くはいません。それと同じように、この世の中の根本的な仕組みなどというものに対しては、ふつうの人々は無関心で、「世の中はそういうものだ」という一言で分かったようなつもりになっているものなのです。けれど、このブログに書き連ねられた文章や、それにくっつけて紹介している本の紹介文を書くことによって、此岸とはこんな形をしているのではないだろうか、ということが少しずつ分かってきたように思うのです。地球が丸いことを知っていれば月に行ける訳ではありませんが、地球が丸いことを知らなければ月へは行けません。だから、此岸の形を知ることは彼岸への第一歩だと思うのです。

 まるで月に人を送り込むような遠大な計画になってしまいましたが、案外、答えはもっと近くにあるのかもしれません。わざわざ月まで行かなくても、私たちは地上にいながら、この地球が丸いことを知ることも出来ます。彼岸まで行かなくても、此岸の問題を此岸で解決することも出来るのかもしれません。息苦しさの原因がカネ勘定と他人の評価なのだと分かってしまえば、わざわざ彼岸まで出掛けていかなくても、此岸にいながらにしてその息苦しさから解放される時間と場所を提供することが出来るかもしれません。「図書館」という名称に固執せず、いっそうのこと「読書カフェを作る」と言い切ってしまった方が答えに近づくのかもしれない。それはそれで、私にとっては、何千人もの人が関わって月に人を送り込むことと同じぐらいの「ビッグ・プロジェクト」ではあるのですが。




町田そのこ 著. 2020. 『コンビニ兄弟: テンダネス門司港こがね村店. 新潮社.

現代社会におけるコミュニケーションのあり方をもっとも端的に凝縮したともいえるコンビニエンスストアを舞台に、市場経済とはまったく無関係に「彼岸の人間関係」を描く小説。こんなコンビニはないとわかっていても、「どこかにあったらいいな」と思わせるところが、小説の力、創作の可能性なのかもしれません。コンビニにこれだけの力があるなら、読書カフェだって…。いや、これは創作というより、やはり妄想ですね。


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