2026/03/21

同時並行思考の重み

 このブログを始めて2年以上が経ちますが、開館準備は先月からやっと本格化したところです。構想ばかりに時間を掛けてしまいましたが、最初は輪郭の定まらなかったものがやっと形になってきました。

 先月から、工務店による改装工事が入りました。水回り、窓ガラスの取り換え、内窓の設置、押入れのなかの造作工事など、ちょっと素人ではできないところを中心に、項目を絞り込んで実施してもらいました。あとはDIYです。とはいってもこれがなかかな進みません。設計図は出来るのですが、そこから先の作業が回り道ややり直しばかり。人に頼めば早くて仕上がりもきれいなのですが、DIYはどうしても素人臭さがあって、時間も掛かり、もしかするとおカネも掛かっているのかもしれません。それに考えることがあまりにも多すぎて、次々にいろんなことが気になりだして、結局、何も決められていない、なんて日も珍しくありません。それをいくつも同時並行で考えていかないといけないのですが、そんな状態で1週間、1ヶ月という単位で時間が過ぎると、焦りや不安といった気持ちが出てこないわけでもありません。

 いまやっていることを書き出すと、だいたい次のことをやっています。

  1. 庭に芝生を植える準備
    なぜこれがいちばん最初なんだ、と自分でも思うのですが、いちばん時間を取っています。秋に一度、鍬を打って雑草の根を取っているのですが、再び、今度は剣スコで40~50センチの深さまで掘って根を一掃し、排水溝を掘って廃材を埋めたり、芝の根が畑まで入り込まないように区切りを付けたり、均したり施肥したり…。これをやっている間は無心になれますので、つい時間を掛けてしまいます。
  2. 看板の製作
    捨てられていた足場板をきれいに塗装し、外灯とアクリルフォトスタンドを取り付け、ブロックに挟んで看板にする予定です。部材の到着待ちです。このアイデアを思いつくまでに紆余曲折がありました。
  3. 机の製作
    そもそも机のレイアウトをどうするかで紆余曲折があったのですが、もうこれで大丈夫、と思って部材の購入を進めています。天板はほとんど衝動買いですぐに買って塗装をしたのですが、通販で購入した脚が不良品で、交換をもとめているのになかなか届かず、作業が止まっています。机ができたら、各席の卓上灯の選定と購入、そこへの電源ケーブルをどうするか、席と席の間の間仕切りの製作、ブラインドカーテンの設置などをしていかないといけません。
  4. 椅子の購入
    椅子は体重を預ける什器ですので、さすがにDIYでは危ないと思って、既製品を購入しました。けっして高価ではありませんが、来館いただいた方にゆっくりとお過ごしいただけるように、座り心地のいいものを選びました。これはすでに搬入済みです。
  5. ウッドデッキの製作
    最終的に、窓に向かって座っていただく座席レイアウトにしましたので、庭はきれいにしておかないといけません。ウッドデッキはあとで、と思っていたのですが、急遽、優先順位を上げて作業することになりました。現在、設計が終わって、来週、材木屋さんに相談するところ。塗料や金具などはネットで購入して、DIYで組み立てます。ウッドデッキができれば、いろいろな工作作業をウッドデッキの上でできますので、作業効率が上がるかもしれません。
  6. 押入の改装仕上げ
    床と壁は工務店にお願いして、丈夫な合板やボードにしていただきました。あとは壁紙を貼ってください、と言われていたのですが、ボードを貼ったままの感じがよくて、これに塗料を塗って撥水処理したいと思っているところです。試しに塗った塗料は大失敗。塗料の種類を変えて再チャレンジする予定ですが、後回しになってしまっています。
  7. 押入書架と押入席の製作
    ボードへの塗装ができたら、書架と座席を製作します。押入だったところに設置する書架は、棚幅30センチの深い棚で、美術書や百科事典などの大型本が並べられる予定。この書架は、壁と床に固定します。ウッドデッキと同様、設計は出来ていて、来週、材木屋さんに材料の調達について相談予定です。
  8. 一般書架の製作
    一般書架は壁に沿って、ツーバイフォー材を使って、棚幅14センチで製作予定。文庫、新書、四六判の本が中心です。この書架は壁に固定されます。これも設計は出来ていて、材木屋さんとの相談待ちです。
  9. カーペットの採寸と調達
    押入書架が完成したら、室内の採寸をして絨毯を発注。これを敷き詰めます。
  10. 照明器具の選定
    ネット通販でアンティークなランプシェードを購入したのですが、これに合うソケットが、ホームセンターにも家電量販店にもありませんでした。来週、京都にある専門店に相談に行く予定です。
  11. 空調の設置
    これはさすがにDIYではできません。家電量販店にお願いするしかないのですが、まだ検討も出来ていません。空調を発注するときに、いっしょに換気扇の取り換えとレンジフードの取り付け、換気扇周りの電源工事もお願いする予定です。
  12. 洗面所とトイレの仕上げ
    洗面所は工務店さんにお願いしてお洒落に改装していただきました。塗装などはDIYでということになっていましたが、無事に完了。トイレは、改装の必要はないのですが、たわしやトイレットペーパーの置き場などを確保する必要があり、ホームセンターで適当なものを買ってきて置くようにしました。トイレの扉は、ドアノブの交換を含む補修が必要。洗面所の入口には扉がないのですが、これだとトイレに入るところが閲覧室から丸見えなので、扉を製作して取り付けます。
  13. 玄関回りの検討
    傘立ては庭に捨てられていた一升瓶ケースに色を塗って、水受けトレーや底マットを付けて完成。スリッパとスリッパ置き場を用意しないといけません。下足箱を置くスペースがないので、靴を持って入っていただけるような工夫が必要です。

 これだけのことを並行して考えるというのは、なかなかにたいへんなこと。そうかといって、ひとつづつ片づけていこうとすると、部材の調達がままならなくて作業が止まったり、雨が降ってきて外の作業ができなかったりすると、他の作業もすべてが止まってしまいます。同時には出来なくても並行してやっていくしかありません。

 以前の記事で、京阪津読書カフェ勉強会で京都のマスターさんから出てきた言葉として「店を支配する」という言葉をご紹介しました。細かいルールを決めてお客さんに守ってもらうことではなくて、その店のすべてのことについて、なぜそうなっているのかを説明できる状態にすることを「支配する」と仰っているのです。館長としてここを支配するには、ここに書いたことのすべてについて理由を説明しないといけない。たとえば、どうしてそのランプシェードにしたのか、どうしてその色のカーペットにしたのか、どうして机の色はこの色なのか。おカネをかけるということではなくて、どれも「テキトーにはしない」ということだとおもうのです。たぶんそれが開館したあとの自信につながるのではないかと思うのです。館長である自分が自信をもってその場を「支配」していなければ、館内にいてもどこか落ち着かないと思うのです。そのための手間だと思えば、ここで焦って手を抜くわけにはいきません。

 賢明な方はお気づきだと思いますが、ここまで準備をしてもカフェとしては機能しません。考えるキャパがもういっぱいで、これ以上は頭の中に入ってこないのです。とにかくいまのところ、私設図書館として機能させるところが第一目標。カフェはその後にしました。これでなんとか思考のキャパが溢れないようにしています。当初「2026年5月開館を目指して準備中」としていたのですが、なんとかそれまでに私設図書館としての体裁を整え、「無料見学会」などと称して来館者をお迎えできるといいなと思います。カフェ機能を含めた正式な開館はひとまず後回し。こうして考える順序を決めることで、少し穏やかな気持ちになれました。


2026/02/15

初めての失業と開館準備

 3月末で定年退職となるところ、貯まりに貯まった有給休暇を消化して、2月中旬に事実上の退職をすることとしました。サラリーマン人生の最後にしては不誠実な辞め方だとは思うのですが、これもいろいろ堪りかねる出来事の帰結。最後は何も振り返ることなく辞めてきました。

 3月まではお給料がもらえるのですが、生活としては事実上の失業者。ただそれではダラダラと過ごすばかりになってしまいますので、いちおうはけじめをつけて、朝9時から夕方5時までは勤務時間。同じダラダラするなら「本の庵」になる予定の「藤ノ木の家」で過ごすこととしました。「藤ノ木の家」は現在改装中。それと水道やガスの開栓、光ファイバーの接続など、毎日訪問者があって、開館に向けたいろいろな作業をしていただいています。

 退職すると、時間の流れだけでなく、物事の決め方だとか考えごとの作法だとか、そういうものがガラリと変わってしまいます。勤めていたころは他者からやることと期日が与えられていましたから、そこから逆算して、自分ができることをプロットしていくというようなことを無意識にしていました。予定調和的に適当なところに落とし込む。初めてやることでもある程度の先は見通せましたし、「ここまでなら出来る」という落しどころも掴むことができました。その感覚が違うのです。

 開業に向けて、あれもやりたい、これもやらなければ、とアイデアは次々に浮かんでくる。でもいざそっちに進めようとすると「本当にそれでいいのか」と自分にブレーキがかかってしまうのです。例えば机の並べ方なのですが、最初は学校の教室のようにみんなが同じ方向を向くように考えていた。けれどそのレイアウトを実現するには改装が大掛かりになるので、工務店さんのアドバイスもあって改装を最小限にできる案を考えた。それで部屋の中央に間仕切り付きの机を並べるレイアウトを考えて、そこに照明が当たるように天井の真ん中にダクトレールを付けてもらった。ところが窓の改装をしてもらうとこれがことのほか良く、それじゃみんな窓の方を向いて一列で座ってもらうレイアウトを考えた。窓に向かって座るということは庭を見て座るということだから、庭をきれいにしないといけない。ウッドデッキと芝生でどうするか考えないといけないと思った。昼間は窓からの明かりで本が読めるけど、日が沈めば暗くなる。ダクトレールは天井の真ん中に付けてしまったから各席に照明を付けないといけない。それじゃ机の天板の下にテーブルタップを隠してそこからクリップライトの電源を取ればいい。机の間仕切りはこんな感じで、読書会をやるときはこんなふうに席を移動させて、、、
もうアイデアだけなら暴走状態なのですが、それが暴走あるいは妄想だという自覚があるので、最初の一歩が踏み出せないのです。窓の方を向いて座ればいいと思いついたときには「よしっ」て思ったのですが、それまでに何度もイメージが変わっているので、これが本当の最終形なのか自分でも確信が持てない状況。勤めているときはそれでも期日があるので進めていかなければいけなかったのですが、期日がないというだけでこんなに決め方や作法が変わってしまうんですね。

 それに、ときどき勤めていた会社のことを思い出して、あれをしておけばよかった、ああ言ってやればよかったと逡巡する時間があります。もちろん考えても仕方のないことなのですが、それだけに思索には限りがありません。これは、本来なら開業に向けて前向きに考えごとをするべき時間を、後ろ向きな後悔で浪費している訳ですし、精神衛生上もよくありません。ただ止まっているだけでも前を向いて止まっているならまだ良いのですが、前が見えないがためについつい後ろを振り返ってしまうという状態なのです。

 先に退職した人の話によると、その人は退職してそのあとの当てがないのですが、「何とでもなるわ」と超楽観的。職がないとマンションを借りることも出来ないので、まだ籍があるうちに退職金を当て込んで新しいマンションへ引っ越したんだそうです。ソファーなどの什器は新しい部屋に合ったもので揃えたい。その他、新しい生活に関わるものはとにかく「こだわり」を以って選んだそうです。別にいつまでにという期日がある訳ではない。時間はいくらでもある。本当に気に入ったものに出会うまでとことん選んだというのです。

 「本の庵」に関して言えば、決めないといけないのは机だけではありません。キッチンのこと。食器のこと。そのまえにメニューのこと。書架のこと。本の並べ方。レジや会計のこと。靴箱や傘立てのこと。看板のこと。何から考えていいのかさえわかりません。この感覚を重圧と呼ぶのか、それとも「こだわりへの自由」と呼ぶのか。退職後の作法に慣れるのにはいま少し時間がかかりそうです。


2025/12/12

自己肯定感

 NHKで『舟を編む』というドラマが放送されていたので、気になって、最近『広辞苑』を買いました。なぜドラマが『広辞苑』に結びついたのか、その経緯はずいぶん省略してしまいますが、ここでは気にしないでください。今日は『広辞苑』とドラマを切っ掛けに「自己肯定感」について考えてみようと思います。

 「自己肯定感」という言葉が気になったのは些細な切っ掛けなのですが、『広辞苑』には「自己肯定感」は立項されていません。『三省堂国語辞典』にもありません。会社で契約しているJapanKnowledgeというデータベースで調べてみると『現代用語の基礎知識』には「ひきこもり」との関係で立項されているようです。『日本国語大辞典』には「自己肯定」が立項されていて、阿部次郎『三太郎の日記』(1914-18)の「内省の根柢を欠く無鉄砲な自己肯定は更に更に無意味である」などの用例が採取されています。

 それに対して「自己否定」は『広辞苑』にも立項されています。しかし「自己否定感」という言い方はあまり聞きません。Wikipediaには「自己肯定感」が立項されていて、誰がどのような定義をしているのかや、いつごろからどういう経緯で使われるようになったのかなどを知ることができます。ここではその整理を一応は理解したうえで、この「自己肯定感」という言葉と、私なりに向き合ってみようと思います。

 まず『広辞苑』に立項されている言葉のうち「自己肯定感」にいちばん近そうな言葉は「自己否定」じゃないかと思います。その「自己否定」の対義語として「自己肯定感」という言葉を理解するのは自然な流れだと思うのですが、先述のように「否定」には「感」が付くことがないのに「肯定」にはほとんどの場合「感」が付きます。この非対称性は気になるところです。

 「自己」の対義語は「他者」ですので、「自己否定」の対義語は「他者否定」かもしれませんが、そんな言葉は聞いたことがありません。

 たぶん「他者」というのは「他人」とも意味が違うと思うのです。例えば馬締光也という人物がいたとします。彼にとって「自分」とは馬締光也その人です。林香具矢という人物も、岸辺みどりという人物も、彼にとっては「他人」です。『舟を編む』では、林香具矢は馬締光也の配偶者なのですが、ここはちょっと哲学的に、配偶者であっても「自分」以外の人物はすべて「他人」とします。「他人」は複数存在していて、林香具矢も岸辺みどりも、それぞれ単独で「他人」という地位にいます。

 社会生活をするうえで、「他人」を否定したり、「他人」から否定されたりということはよくあることです。口に出して罵倒することはなくても、心の中で「他人」の存在そのものを否定するようなことはなくはありません。

 それに対して「他者」というのは、「自己」を取り巻いているものすべての総体です。配偶者を含む自分の周りにいる他人、自分の置かれている立場、自分を取り巻く環境、自分の生い立ちやそれまでの経験などのすべてがひとまとまりになって「他者」です。だから「他者」の存在を否定することはできません。「自己」と「他者」の折り合いがわるく、双方の存在が互いに矛盾するような事態になったときには、「他者」ではなく「自己」を否定するしかなくなるのです。

私なんて…

ドラマの中で岸辺みどりが言うこのセリフは、自分の存在を、取るに足りないもの、どうでもいいものと捉え、存在する価値を否定する、まさに「自己否定」の言葉です。彼女は周囲の人々に支えられて次第に自分を取り戻していきますが、現実はドラマのようにいつもハッピーエンドとはなりません。自分を取り巻く環境の中のどこにも自分の居場所を見出せず、自分の存在価値を見出すことができない状態。つまり深刻な「自己否定」の状態の中で、微かに光を放つ灯りのように、自分がこの世に存在してもいいのだと思わせてくれるもの。それが「自己肯定感」だと思うのです。

 書店のビジネス書コーナーに行くと、「自己肯定感」をいかに高めるか、といったテーマの本が溢れています。しかし前述のように考えると「自己肯定感」というものは、高いとか低いとかを論じるものではなく、「在る」か「ない」かしかないと思うのです。そして「在る」といっても、いつも微かな存在でしかありません。その微かな「自己肯定感」を足掛かりにして、深い「自己否定」の状態から「自我」を取り戻していく。この過程のことを、ビジネス書では「自己肯定感を高める」と言っているのではないかと思うのです。

 「自己」と「他者」の存在が矛盾するような事態は、往々にして、「自分」と「他人」を比較することから生じます。そこから這い出して「自我」を取り戻していくために必要なこととは。それはきっと「他人」との比較をやめることだと思うのです。ビジネス書などを読めば、部下の自己肯定感を高めるために「褒めてあげましょう」とか「感謝の気持ちを伝えてあげましょう」などと書かれていることがあるのですが、「○○してあげる」というのは、必ず自分が相手よりも上位の立場にあってその行為がなされることが念頭にあります。「他人」との比較によって深く傷ついた心がそれによって癒されるのか、私には疑問です。

 現代社会のコミュニケーションは往々にして、「他人」と比べて「自分」の優位性を確認したり、あるいは「他人」と「自分」の同一性を確認したりする手段に陥りがちです。「本の庵」は、構想の早い段階から「脱・コミュニケーション」をコンセプトに掲げてきました。コミュニケーションから解放される時間と空間こそが「自我」を取り戻していくために必要なのかも知れません。