映画『箱の中の羊』を鑑賞したことを切っ掛けに、対話についての対話をしてきました。結局「対話とは何か」という問いには答えられていないのですが、辞書を作っている訳ではありませんので、そこを最後まで突き詰める必要はないのかもしれません。あくまでも「自分との対話」ですから。
ところで、この映画を観る空間は良質な対話空間だったのではないかと思うのです。上映されている映画館もそうですが、こうしてこの映画について考えている空間だとか、実際にあったわけではないですが、この映画について語り合う空間だとか、そういった場所には「自分への問い」が溢れていると思うのです。それはきっと、この映画を制作した人が「自分への問い」を形にしたからだと思うのです。社会への問いでも何かの告発でもなく、綾瀬はるかと大吾が演じる夫婦が、自分自身に対して問うことが、映画全体を通じて一貫していると思うのです。そして制作者も特定の答えを押し付けようとしていない。観る人といっしょに考えようというスタンスで作られているように思えるのです。
「本の庵」は「脱・コミュニケーション」を掲げているのですが、その先に「シン・コミュニケーション」を描くとしたら、こういうことなのかな、と思うのです。「どういうことか」って? それをいつも自分に問い掛けているということですかね。
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