2026/06/14

良質な対話空間

 きのうの記事では、対話の本質が、自分自身と向き合い、自己理解を深めることではないか、という仮説を立てました。その仮説のもとに、どういう場所であれば良質な対話が促されるのかについて考えてみようと思います。それはそのまま「本の庵」のカタチに繋がっていくように思うのです。

 ただ、この問い、なかなか手強いです。もう少しで答えに辿り着けそうで、なかなか辿り着けない。この館長日記を書き始めて2年以上。書いた記事は100件以上あるので、その中に答えがあるように思うのですが、あらためて考えると、うまく言語化できないのです。

 これまで何度か例示している「大芸術家の残した偉大な宗教画の前に立ち、しばし無言の対話をする」という「対話」の用例ですが、そういう対話をするためには、その絵のもっているメッセージだけではなく、その絵が置かれている空間も大切だと思うのです。宗教画なら、先に教会などの空間があって、そこに飾る絵として制作されたものも少なくありません。それを取り出して美術館に展示したり、模写して展示したりするときには、もともとその絵が置かれていた空間を参考にしながら、その絵の鑑賞に相応しい空間が設計されていくのだと思うのです。こでは言語の世界ではないと思うのです。左脳ではなく右脳の世界だと言えるかもしれません。

 良質な対話空間とは反対に、対話がしにくい環境ってどんなものでしょう。絵を見ているときでも、本を読んでいるときでも、人と話しているときでも、心地いい対話に浸っているときに、突然それを破られる経験って、どなたにも少なからずあると思うのです。例えば、静かに本を読んでいる横でお喋りに興じる人がいたり、美術館に騒がしい団体鑑賞者が入ってきたり。そう考えると「静か」であることが対話の条件のようにも思えますが、そもそも対話の一義的な語義は「お喋り」なので、自分はお喋りしてもいいけど他人はダメ、というのも身勝手なものです。

 何人かで話し合っていて、いい感じで対話ができているな、と思っていたら、突然その対話モードが失われてしまう経験もない訳ではありません。それは相手と意見が違うとか、相手の主張が強すぎるとか、そういうことでもないのです。もちろん、相手の方の発言に首肯できるときは心地がいいです。それは単に意見が一致しているというだけではなく、自分ではうまく言語化できなかった主張を相手が言語化してくれたり、自分では気づかなかったことに相手の言葉によって気づかされたりして、自分に対する理解が深まっているからだと思うのです。もし相手の主張に違和感を覚えたときは、自分の主張とどこが違っていてどこが同じなのか、もし違っているとしたら、相手がその発言をする前に自分が言ったことから、どうやってその主張が導き出されたのか、などといったことを考えて、その違いを埋めようとします。そのプロセスで、やはり自分自身に対する理解が深まっていきます。

 問題なのは、自分自身に向き合っている姿勢を別の方向に向かせてしまう発言だと思うのです。自分自身と向き合っているとき、人は自分の中に生まれた問いを追いかけています。しかし強いコンテキストが持ち込まれると、その問いを追いかけることよりも、そのコンテキストへの対応が優先されてしまう。私はそのとき、対話が中断されたような息苦しさを覚えます。だれかを質問攻めにしたり追い込んだりするような発言だとか、議論を吹っ掛けるような発言だとか、その場の空気を自分中心に変えてしまうような発言だとか。二人で話をしているうちは自分だけが上手く対応できればいいのですが、ある程度の人数がいるところでは、発言している人に悪気はなくても、ときに息苦しい思いをすることがあります。その辺りが私のコミュ障たる所以でもあるのですが。

 本を読んでいて自分との対話モードになっているときに周りでお喋りされると気になるのは、例えば図書館のように、そこでは静かにするべきだというコンテキストが打ち破られるからではないかと思うのです。お喋りがいつも気になる訳ではありません。電車の中やカフェなど、周りに大勢の人がいて音や声が溢れているような空間で本を読むことも珍しいことではありません。ただ、偶々聞こえてきた会話が自分の価値観とひどく対立するようなものだったりすると、とても落ち着かなくなります。お喋りしているのは赤の他人ですから「それはおかしいですよ」と口を挟むのもおかしい。けれど黙って聞いていられない。こうなると本なんて読んでいられないので、その場を離れるしかありません。

 それで「本の庵」をどうすれば良質な対話空間にできるかという話に戻りますが、それを言語にしてしまうと特定の価値観の押し付けになってしまわないか、そんなふうに思うのです。それで、言語化の一歩手前で言語化を躊躇してしまう。自分の思いを自分の意図通りに伝える言葉が見つからない。この辺が、右脳が弱くて左脳だけで生きている私の限界なのかもしれません。


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