これも京阪津読書カフェ勉強会で京都のマスターさんから出てきた言葉です。支配すると言っても、細かいルールを決めてお客さんに守ってもらうことではありません。その店のすべてのことに責任を持つこと。言い換えると、その店のすべてのことについて、なぜそうなっているのかを説明できることを「支配する」と仰っているのです。例えば、なぜそこに観葉植物があるのか、なぜ文庫のブックカバーを取ったのか、なぜこのコーヒーカップなのか。それを全部自分は説明できると仰るのです。
店の内装工事は知り合いに頼んだそうなのですが、出来上がった感じやスマートな感じにではなくて、そうじゃない感じにしたかったと言います。カウンターは作ってもらったけれど、ニスは自分で塗って、そこにやすりを掛けてあえて斑を出し古い感じにする。角も擦れたように丸く削る。それは、通信教育のテキストを読んでイメージしていた自分の店とはまったく違うイメージです。テキストに書いているのは、白を基調とした清潔なイメージだとか、パイン材を使ったシンプルなイメージだとか、黒やダークカラーを基調にした重厚なイメージだとか、そういうことなのですが、マスターさんが仰るのは、「スマートな感じではないイメージ」「出来上がった感じではないイメージ」と言語化の難しいイメージなのです。果たして知り合いに頼むときにどう言って頼まれたのでしょう。あるいは、最後は自分がやるから言語化する必要はなかったのかもしれません。
「本の庵」は50㎡の一軒家。内装だけでなく外壁も庭も自分の支配下に置かないといけないと思うとたいへんです。例えば、靴を脱いで上がるのか土足にするのか、いまは畳の部屋ですが、これをいったいどうするのか、決めることはいっぱいあります。果たしてすべて説明しきれるのでしょうか。ふと京都のそのカフェの床を見ると、無垢の板敷。私が通っていた小学校の床はこんな感じでした。こういう床にするのがいいのか。それにしても、そうしてほしいということをどうやって工務店さんに伝えればいいのか。そんなことを考えていた勉強会の2日後のこと。会社に向かうバスの中で突然イメージが降りてきました。
昔の学校みたいな床。木造校舎のような床。
そう言えば工務店さんに通じるだろうか。
そうだ。床だけじゃなくて、全体をそんなイメージにできないだろうか。例えば、机や椅子も本棚も。壁には黒板を作って、そこにメニューを書いたらどうだろうか。外壁もそれらしく設える。学校で本と言えば二宮金次郎。庭に二宮金次郎がいていっしょに本が読めるのはどうか。いや、これは妻に全力で阻止されているのですが、自分ではわるくない発想だと思って、心の抽斗の奥の方に仕舞っているところ。実際の木造校舎を使う訳ではないので、紛い物には違いないのですが、そのイメージを借りて自分のイメージを膨らませていくと、なぜこんな内装なのか、なぜこの什器なのか、なぜこの食器なのか、ということに、ひとつひとつ説明を付けられそうな気がします。きっとそれは、通信教育のテキストから借りてきたイメージで支配されている空間よりも「本の庵」に相応しい空間だと思いますし、スタバやコメダの代用ではない、まったくこの世にはない空間にできるかもしれません。
0 件のコメント:
コメントを投稿