2024/06/24

蔵書とアイデンティティ

 島根県隠岐郡海士町の海士町中央図書館で開催された青木真兵さんのトークイベントから、いろいろと書いてきましたが、いちおう今日が最終回です。

 島には2泊したのですが、最初の1泊は青木さんと同じ旅館でした。旅館のご主人はなかなかの男前。あまりお話しする機会がなかったのですが、見た目は海とTシャツ、アウトドアが似合う感じ。食堂が居酒屋にもなっていて、おいしそうな酒が並んでいたのですが、残念ながら営業時間がイベントの時間と重なったりして、ここで一献傾ける機会はありませんでした。居酒屋の中にステージがあって、ドラムセットが置いてあったり、玄関の手前にバーベキューができるようなところがあったり、なかなかこれもいい感じの宿でしたので、次はここを堪能したいものです。

 そうそう、図書館でしたね。

 3年前に来た時はあまり気づかなかったのですが、ここの蔵書、なんとなく「彼岸の図書館」と重なるところが多いように思いました。利用者のリクエストに応えていると、哲学だとか社会学だとか、それも青木さんの言説と重なるようなものが増えていくのかも知れません。海士町は人口の約1割が移住者。そして、図書館が移住者を惹きつける役割も果たしているのではないかと思うのです。移住されてきた方にとって、自分がなぜこの島に移住してきたのかというテーマはアイデンティティに関わる重大な関心事だと思うのです。たぶん、それぞれ一言ではいえないような思いがあって来られていて、その思いを代弁してくれるような本があって、そこがコミュニケーションの拠点になっている。そんな構造が蔵書にもよく表れているように思うのです。ここに来ると自己肯定感で満たされる図書館。そんな図書館、全国を探してもそんなにある訳じゃないですよね。

 でも。もともと島に住んでおられた方にとっては、そこはそんなに重要な問題ではないかもしれません。そんな単純ではないかもしれませんが、究極的には、自分で島に住むことを選択したのではなく、島で生まれ育ったから島に住んでいるだけ。移住してこられた方が移住してきた理由を言語化しようとするのとは対照的で、そういうことを面倒に思うこともあるかもしれません。

 青木さんのトークイベントの参加者は、移住されてこられた方が多いように見受けました。一方で、私が泊まった宿のご主人は、私がわざわざ島外からこのイベントに参加するために来たということが、どうも腑に落ちない様子。小さな町とはいっても2,000人も人がいる訳ですから(学校に例えるなら1学年10クラスを超えるマンモス校ですね)、いろんな人がいるのは当たり前です。そしてその暮らしの中には、東京と同じ基準で豊かな生活をしたいという、これも当たり前の思いがある。移住者の方ももともと島にいた方も、その両方の面を持っていて、その間を行ったり来たりできるといいのですが、現代社会で支配的な価値観と異なる目線で自分の周りを見ることは、そう簡単ではありません。私のような者が浮ついた気持ちでふわふわと移住したのでは、きっと相当厳しい感じになりそうな気もしました。

 トークイベントの翌日、館長さんが、島に最近出来たラグジュアリーホテルにある分館を案内してくださいました。海を一望できるラウンジのようなところに、1万冊ぐらい入りそうな書架があって、そこが図書館の分館になっている。別のフロアにも、それよりは小さいですが、書架がある。そして別の棟にも。もう一人、関西のとある大都市の図書館に勤めておられる方といっしょに拝見したのですが、

お二人ならどんな本を並べますか

なんてことを聞かれて、俄然、身を乗り出してあれこれ考えてみる。これは楽しいですね。全国の図書館のいったいどれだけで、こんな経験ができるでしょう。でも、そこは既に館長さんや司書さんが本を並べておられるので、自分としては、もしあの宿に分館を作るなら、なんてことを考えました。まずは「全国地酒図鑑」だとか「江戸前寿司職人物語」だとか(いずれも架空のタイトルです)、宿にある居酒屋で一献傾けたくなるような本。矢沢永吉の生き様をカッコよく書いた本やロックバンドのクイーンズの本。アウトドアの本。釣りに来るような人もいそうなので、釣りや魚の本。他には・・・

 いや、いかん、いかん。こういうのがふわふわした気持ちっていうんですよね。何も話したことがないのに見た目だけであれやこれやとお節介なことをされるのは、こんな人目につかないブログの中であったとしても迷惑なこと。やるならしっかり地に足を付けてやらないといけません。青木さんの「土着」にはそんな含意もあるのかもしれません。ご著書の中では、田舎の消防団での苦労なんかも語っておられますが、「土着」を実践するのは、そんな簡単なことではない。自分の住む町ですることも大変なのに、住み慣れない、しかも地域の濃密なコミュニティがあるところでするのはもっとたいへん。青木さんも海士町に移住した人たちもそれをしておられるのです。

 それは住み慣れた街でやるにしても同じ。逃げ出すにしても、人類のためにするにしても、こんなふわふわした気持ちではダメだ。しっかり地に足を付けなければ。

 でも、これだけは言えると思います。青木さんにとって、本が並べられている自宅はきっと居心地のいい場所だと思うのです。そして海士町図書館も、今回のイベントに参加された方にとっては、きっと居心地のいい場所なんだと思うのです。自分もそういう場所を作らないといけない。本気になって作らないといけない。それで、そこが居心地がいいと思う人がいれば、人がそこに集まって来るし、それが自己肯定感にもつながる。自信にもなる。テキトーに作ったのでは、自分も居心地は良くないし、人も集まってこない。居心地がいいというのは、楽ができるという意味ではなくて、本気になれるという意味かもしれません。

 海士町からは帰ってきましたが、歳甲斐もない「自分探しの旅」はまだまだ続きそうです。





2024/06/23

図書館を巡る

 図書館の蔵書をどのように評価するのかってとても難しい問題なのです。私が勤めていた図書館では、その年のうちに買った本が、その年のうちに貸出や閲覧に供されたかどうかで評価をしていました。一度それを徹底してやろうとしたときにはとても疎まれました。官僚的な組織の中では、そういうことはあまり好まれず、「上手く選書されています」という結論が先にあって、それをどう導き出すのかが大事なのです。

 今回の旅では、海士町中央図書館のほかに、隣の島にある西ノ島町コミュニティ図書館「いかあ屋」と、海士町へのフェリーが出る街にある境港市民図書館を拝見しました。海士町以外は、勝手にいろいろ見させてもらっただけなのですが、この3つがそれぞれ特徴があって面白い。

 まず、最近の図書館のトレンドも追いつつ、伝統的な図書館の蔵書評価でもたぶん高く評価されると思われるのは境港市民図書館。私の場合、図書館を見るときは、まずレファレンスブックを見るのですが、ここは本当にしっかりしていました。平凡社の『世界大百科事典』、小学館の『日本大百科全書(ニッポニカ)』『国史大事典』『角川日本地名大辞典』『大漢和辞典』、県史や市史、町史、村史など、あって当たり前と思っているものが本当にある。最近、市町村レベルの図書館では、なかなかこういうコレクションにお目に掛かれません。それと児童書の豊富さ。特に小学校の高学年ぐらいを対象にした本が豊富な印象。十進分類で配架されているのですが、たとえば「140」の書架には「こころ」などといった、小学生でもわかりやすいタグが付けられていて、これもなかなか好印象でした。あれ、と思ったのは一般図書の配架順で、例えば日本史ならば、普通は十進分類で古代→中世→近世→近代と並ぶべきところ、全部ひっくるめて著者順だか署名順だかに並べているところ。これはちょっと探しにくそうでした。新書はいくつかのレーベルを継続収集されているようで、相当な量があるのですが、分類配架されていないのは残念。配架場所もちょっと手に取りにくい高い場所で、なんとなく本が飾りになっているような感じ。これは他の図書館でもよくあることなのですが、新書は大学の先生のような専門家が一般の読者向けに書かれていることが多いので、入門書や教養書としてとてもいいと思うのです。レーベルごとにまとめるのではなく、主題別に分類配架すれば、同じ主題の本が1か所にまとまって、とても手に取りやすい。昔は各図書館で1冊づつ本の目録を作るときに分類をしていたのですが、いまはコンピュータにすぐ入力できるような本の目録情報を、本といっしょに購入するのが普通ですので、主題別分類はそんなに手間ではないはずなのですが。と、ちょっと意地悪な目で見てしまいましたが、学習室やミーティングができるような部屋もあって、施設も立派。まずまず申し分のない図書館でした。

 西ノ島町コミュニティ図書館「いかあ屋」もなかなか今風の図書館でした。ここも、ミーティングルームや学習室、海を見ながらゆっくりと本を読めるスペースなどがあり、「コミュニティ図書館」の名に恥じない施設でした。子育て世代と思われる女性が数名で、本やノートを拡げながらミーティングをしていたり、男性のお年寄りお二人が将棋に興じていたり、施設を作って終わりではなく、ちゃんと利用されているなぁとも思いました。入口を入ってすぐのところに低書架があって、西ノ島→隠岐→島→沖縄・瀬戸内 自然→生き物→漁業・畜産→町おこし みたいな連想で書架が作られていました。これはなかなか魅力的。本を読んでみようかな、という気にさせてくれます。出来て間もないということもあるのかも知れませんが、一般書架の本は総じてきれいでした。つまり、あまり利用されていない。これはもったいないですね。施設だけでなく、本も利用してほしいところです。それと、これも最近の図書館のトレンドなのかもしれませんが、書庫がないんです。「いかあ屋」の場合、いちおう「書庫」という部屋はあったのですが、閲覧室との間仕切りはなく、開架書架(図書館にある普通の本棚)に入りきらない本が普通に並んでいました。図書館の主題分類だと、「歴史」の本は、歴史一般→日本史→東洋史→西洋史…という順番に並ぶのですが、ここでは、歴史一般の次は東洋史で、「日本史の本は書庫にあります」といったことが書かれていました。大学の図書館は古い本でも捨てませんので、数十年前に発行された古い本(それはそれで利用価値があるのですが)だとか、ほとんど利用が見込めないような本は、書庫に仕舞い込んで、利用者からリクエストがあれば出す、というようなことにしています。県立図書館なんかもそうしている。「いかあ屋」の場合、まだ開館して間もないからそんな古い本はないのかも知れませんが、これからどんどん本が増えて並べきれなくなったら、古い本とか利用がない本なんかはどんどん捨てていくんでしょうね。書庫を作るぐらいなら、学習室、ミーティングスペース、ラウンジのような部屋なんかを作る方がいい。そういう思想が最近の図書館のトレンドなんだと思います。それもわるいことではないのですが。

 そしていよいよ海士町なのですが、これは語りだすと長くなりそうですので、明日にします。



2024/06/22

島まるごとアジール

 以前の記事で、青木真兵さんの著書『手づくりのアジール』を引き合いに、島根県隠岐郡海士町は島全体がアジールのようなものという私の考えを披露しましたが、これはちょっと修正が必要かもしれません。

 島にある島根県立隠岐島前高校には、全国から島留学の若者が集まってきます。彼らを見ていると、都会の学校から「逃げ出してきた」というよりも、現代社会という枠組みから「飛び出してきた」ように見える。それと「ほうほうの体で東吉野村へ逃げ込んだ」(青木真兵, 海青子. 2019.『彼岸の図書館』P.6)という青木さんの言説とのギャップをどう埋めるのか。そこは、海士町まで出掛けて青木さんのお話を聞く動機でもあったのですが、青木さんによれば、アジールというものが何か絶対的な価値観を提供しているのではなくて、それぞれのアジールが社会の多様性の一部で、「アジールとはこうあるべき」といった画一的なものではないということなのです。都会からやってきた高校生にとってこの島の暮らしはアジールかも知れないけれど、都会のように何でもおカネで解決することが出来ないこの島では、周囲との濃密なコミュニケーションが必要になって、ときにはそこから逃れるように、港の売店でソフトクリームを買って人目につかないところで食べる時間が、その人にとってのアジールになるかもしれない。そんな例を挙げておられました。

 トークイベントのあとで、島前高校の先生という方に声を掛けていただいて、親しくお話をさせていただいたのですが、「飛び出してくる」若者と「逃げ出してくる」若者は半々ぐらいというようなことを仰っておられました。それを伺って、本当は一人の人間の中にも「飛び出してくる」要素と「逃げ出してくる」要素があって、ある場面では一方が強く出る、ということなんじゃないかな、と思ったりしました。

 これはたぶん、自分がやろうとしている Cafe & Library でも同じで、一面では「世の中を変える」とまでは言わないまでも「一隅を照らす」ぐらいの要素はありつつ、他の面では、現代社会の縮図と言えるいまの会社から逃げ出すという要素もある。どっちか一方という二者択一ではないと思うのです。それは、Cafe & Library の重要なコンセプトである「脱コミュニケーション」も同じかもしれません。これまで私は、会社で求められるコミュニケーション能力というのに辟易としていて、とにかくコミュニケーションから逃れられる時間と空間こそが自分にとって必要だと思っていました。それはいまでもそうなのですが、島に行くと私はいろんな方とお話をして、それなりに自分が受け入れられたように思っている。そういう「二面性」みたいなものはあらゆるところにあるもので、どちらかを「善」、どちらかを「悪」とは決められない。

 青木さんも、「此岸」と「彼岸」を行き来することの大切さを語られる。ふたつの価値観というのは、「都会」の価値観と「山村」の価値観だったり、個人が強調される「近代」の価値観と地縁や血縁などのコミュニティが強調される「前近代」の価値観だったり、いろいろなパターンがある。ただ、いまは資本の原理に基づく価値観が強すぎるので、それとは異なる価値観が提供されないと、異なる価値観の間を往来する自由が得られなくなって、社会が息苦しくなる。資本の原理が届きにくい場所を作って、そこと、今の世の中で支配的な資本の原理が通用する世界を行き来する。そんな思想に「土着」とか「アジール」という言葉を当てておられるのだと思います。

 そんなことで、海士町で開催された青木真兵さんのトークイベントから、あれやこれやと考えてきたのですが、明日は図書館のことを書こうと思います。