2024/04/30

承認欲求

 ここまでつらつらいろんなことを書いて、あらためて、人間が労働力という商品として値踏みされる世界がどうして出来てしまうのかと考えてみると、その背景には、これも誰もが本能的に持っている承認欲求というものがあるように思うのです。何度も言いますが、人間は、組織や社会を作らないと生存できない生物ですから、その組織や社会の中で自分の存在を意味付けようとする本能を持っています。その本能がコミュニケーション能力であったり承認欲求であったりするのだと思うのです。商品経済の中で、労働力という商品としての価値があるかどうかが、その人の評価基準として明示されれば、たいていの人はその基準で評価を高めようと躍起になります。それは、単に給料を上げようとか、組織や社会の中での地位を高めようということばかりではなく、そういったことにはまったく関係がなくても、人間には他の人間に自分の価値を認めさせたいという承認欲求が必ずあって、それが人間の商品化の背景になっているのだと思うのです。

 コミュニケーションの方は、複雑で高度になっていること、あるいは歪んでいることがストレスになっている場合、しばしそこから離れることができますが、承認欲求の方は、本能的な欲求であるがゆえに、過度になったものを取り除いたり緩和したりすることが難しい。ここに Cafe & Library としてどのように向き合っていけばいいのでしょう。

 視点はふたつあると思うのです。

 ひとつは、この Cafe & Library を利用する人の視点で、その人たちの承認欲求をどう満たしてあげられるのかという視点。でも、これは出来ません。なにせ「脱・コミュニケーション」を掲げているのですから。コミュニケーションなしに承認欲求が満たされることは考えにくい。もしかすると、その空間の雰囲気で「自分が受け入れられている」という印象を得て、そのことによって承認欲求が満たされることがあるかもしれません。以前に紹介した「彼岸の図書館」に私が初めて行ったときに受けた印象がそうでした。でも私の場合、その印象だけでは満たされず、司書さんとのコミュニケーションでやっと承認されたような気分になったことも、すでに述べたとおり。それは司書さんのコミュニケーション能力があってのことで、私には、Cafe & Library を利用される方の承認欲求を満たすようなコミュニケーション能力はありません。

 もうひとつの視点は私自身の視点です。読書カフェにしろ私設図書館にしろ、広く社会に向けて開かれた空間を提供しているのですから、誰かに来てほしい、利用してほしいと思うのは必然です。誰も来てくれないと、自分がしていることが誰からも承認されなかったということになりますから、承認欲求が満たされず絶望するかもしれません。横浜で「草径庵」を営まれている「庵主」さんが、エッセイで

もちろん、人など来るはずもなく、正直、来なくてもよいのだった。こうして一年、二年と過ぎ、三年目くらいから、驚くべきことに「お客さん」と呼べるような人が来始めたのである。

と仰っている境地は、そういう承認欲求から解放された境地なのかもしれません。そういう境地に至ることが出来ないと、Cafe & Library は私自身を苦しめる取り組みになってしまうかもしれません。

 承認欲求が満たされずに苦しむ経験は、会社勤めの中でも何度も経験しましたが、Cafe & Library で経験するかもしれない苦しみとは質的に異なるかもしれません。会社に提供しているのは、自分の中の労働力としての側面だけで、人格まで提供しているわけではありませんから、承認欲求が満たされないとしても、人格まで否定されたと思い悩む必要はありません。現実にはそういう割り切りが出来なくて苦労するのですが、原理的にはそういうことで十分なのです。しかし Cafe & Library は、人間が人間として存在できる時間と空間を提供しているわけですから、その意味では、提供する側の全人格が掛かっているともいえます。自分がこれまでに手にしたことのある本が並べられている書架を見て「いろんな本を読んでおられるんですね」と好意的なお言葉をいただけると、私の承認欲求は深く満たされると思います。しかし、「たいした本はありませんね」と言われれば、全人格を否定されたように思うかもしれません。

 こうした承認欲求を持ったまま Cafe & Library を運営するのは、とても辛いことになるかもしれません。誰も来ない。来たらケチを付けられる。人格まで否定される。いやそれでも自分はこういう価値を提供したいのだ、という信念を持つことは大事なことかもしれませんが、その信念が受け入れられるかどうかを気にしだすと、続けていくことは難しいかもしれません。

 草径庵の庵主さんのエッセイを読んで、「少し肩の力を抜こう」、そんなことを考えているところです。とにかく自分にとって居心地の良いところを作ることがいちばん大切。「お客さま」は二の次。そうでなければ、自分自身の人格のすべてを商品にして、どこにでもあるカフェ同士の競争に参入することになってしまう。そういう世界から離れることが目的なのですから、「なんとかしなきゃ」と焦るのではなく、もう少し余裕を持って自分自身を眺める必要があるように思います。

 




2024/04/19

草径庵を知る

  ブログを始めてまだ2ヶ月なのですが、最近では「本の庵」でネット検索すると、このブログがいちばん上に表示されるようになりました。そして、いつも2番目に表示されるのが「本とお茶ときどき手紙 草径庵」という、横浜にある、きっとそれほど大きくはない読書カフェ。気になって、ホームページを拝見しようと「草径庵」でネット検索をすると、「庵主」さんの書かれた『閑事:草径庵の日々』というエッセイに辿り着きました。さっそく、勤めている大学の書店に取り寄せてもらって拝読。これまでいろいろ思い悩んでいたことが溶けていくような思いで読了しました。

一年目はこの場所で過ごす時間のほとんどが自分の休養と読書所間だった。…はじめのひとり。友人や私のことを知ってくれている近所の人たちではない、草径庵を目指してわざわざ足を運んで来てくれた最初のひとり。その人との出会いが草径庵の始まった日といえるのではないだろうか。(pp.38-39)

自分が機嫌よくいるために始めた草径庵で、私はのんびりと日常を離れて過ごす喜びを感じていた。…週末のたった二日、ほんの数時間をここで過ごすことが自分の心と体を労わり、安らぎを与えるということを知った。もちろん、人など来るはずもなく、正直、来なくてもよいのだった。こうして一年、二年と過ぎ、三年目くらいから、驚くべきことに「お客さん」と呼べるような人が来始めたのである。…ほとんどの人が一人でやって来て…それぞれの時間を過ごして帰って行く。お茶を出したり食器を下げたりしつつさりげなく観察しているうちに、こんなことに気づいた。ひょっとしたらこの人たちは、かつての私のように、日常を離れてゆっくりしたい、一人になりたいのではないか。人に何かをしてもらったりされたりするより、なにもされず安心して「自分」でいられる時間と空間をここで過ごしているのではないかと。(pp84-85)

 私がこれから作ろうとしている Cafe & Library のことをあまり理解してくれない来訪者が、その場の雰囲気を台無しにしてしまうのではないだろうか、などと心配をしていたのですが、そんな心配は不要かもしれません。草径庵の庵主さんの仰るように「人など来るはずもなく、正直、来なくてもよい」と割り切ってしまえばいいのですから。

 それに、このブログにウダウダと書き連ねている Cafe & Library のコンセプトなんて、どうでもいいことのようにさえ思えてきます。確かに、カフェを開業するためのノウハウが書かれた実用書を見れば、最初にコンセプトをしっかりしておきましょう、というようなことが書かれている。けれど、それはあくまでも商業的に成功するためのハウツーであって、そのコンセプトのなかで商業主義からの脱却を謳いながら、商業的な成功のためのセオリーに縛られているのも可笑しな話です。庵主さんの仰るように「自分が機嫌よくいるために」始めて、もし自分と同じように思う人がいれば、自然とそういう人たちが寄ってくるような場所を作ればいいのかもしれません。

 本を読んで、この草径庵がどんなところなのか自分の目で確かめたいと思いました。ゴールデンウイークが過ぎたら、新幹線の中でゆっくりと本を読みながら、庵主さんのお話を聞きに行こうと思います。会ってくださるかしら?




安木由美子 著. 2022. 『閑事:草径庵の日々』. ユニコ舎.

著者紹介には「ライター」「構成作家」という職業が書かれているのですが、私の周囲にはおられませんので、どんなお仕事なのか、うまく想像ができません。けれど、書いておられる文章を読めば、プロの文章だなあと率直に思います。思いつくまま、思ったことをそのまま書いておられるように見えて、しっかり読む人のことを意識されておらえる。あるいは、意識しなくてもこういう文章が書けるのがプロなのかもしれません。

このブログも、もうちょっと読む人のことを意識して書かないといけませんね。

2024/04/16

シートチャージ

 私たちの周辺にある図書館は県立や市立のものがほとんどです。図書館法 第17条には「公立図書館は、入館料その他図書館資料の利用に対するいかなる対価をも徴収してはならない」と定めていますので、図書館と言えば無料の施設と考えがちです。しかし、図書館法 第28条には「私立図書館は、入館料その他図書館資料の利用に対する対価を徴収することができる」と書かれていますから、私がこれから作ろうとしている Cafe & Library で入館料を取ることは、法的には可能です。

 Cafe & Library 構想を人に話すと、何人かの方がこんなことを仰います。
それはコーヒー1杯いくらっておカネを取るのか。
1時間いくらっておカネを取るのか、どっちなん?
実はこれは構想のかなり早い段階から悩んでいることで、まだ結論が出ていないことなんです。

 普通のカフェなら、コーヒー1杯いくらというおカネの取り方をします。スタバのような大きなカフェだと、その1杯で何時間も居座って、パソコンで何か作業をされたり、ノートを拡げて勉強のようなことをされている人も見かけます。しかし、個人でされているお店の方に訊くと、正直に言って、そういう感覚で長居をされるとちょっと困る、と仰います。個人でやっているお店だから席数は少ないし、お店の方に申し訳ないと思って追加注文をしてくださるお客さんならいいけれど、そういうお客さんはそこそこの時間で帰って行って、そういうことに気の回らないお客さんだけが長居をされていく、ということになるのだそうです。私がやろうとしている Cafe & Library は、その空間で過ごす時間が大切な商品ですから、そこに価値を見出していただける方にこそ、ゆっくりとしていっていただきたいのですが、その価値が分かるような分別のある方は常識的な範囲を気にされて長居を避けられ、そういう価値の分からない人に限っていつまでも帰らない、という逆転が生じるかもしれません。

 1時間いくら、という料金体系でおカネを取る典型はネットカフェです。マンガ読み放題、フリードリンクで、1時間いくら。使い方はお客さん次第で、マンガを読んでいる人もいれば、パソコンで何かしている人もいる。本を読んでいても、ネット配信の映画を観ていても、居眠りしていても自由。誰にも拘束されない時間を過ごすことが出来る。置いてある本は違いますが、それといっしょなんじゃないのか、などと仰る方もいました。ネットカフェと同じものを作ろうとしているつもりではないのですが、それは、スタバと同じものを作ろうとしているつもりではないということと同じかもしれません。Cafe & Library は、スタバとも共通点がありますし、ネットカフェとも共通点があります。

 こんな考えもできます。

 例えば、入館料と称して300円をいただく。入館料には1時間分のシートチャージが含まれる。あとは2時間ごとに300円のシートチャージをいただく。つまり、コーヒーも何も注文せずに3時間滞在された方からは、600円をいただく。5時間なら900円ということです。ここのポイントは、コーヒーも何も注文しなくてもよいということです。ただし、飲食物の持ち込みはNGですが。

 こうすることで、純粋に Cafe & Library の空間と時間に価格を付けることが出来ます。「何か注文しないと申し訳ないかな」などと考えずに、おカネでその空間と時間を買うことが出来るようになります。

 コーヒーの価格は500円。その500円の中には入館料またはシートチャージが含まれる。コーヒーを1杯飲んで1時間で帰られた方からは500円をいただく。3時間おられたら、そこにチートチャージを加えて800円をいただく。コーヒー1杯500円は普通のカフェと同じです。滞在時間が1時間を超えると、コーヒー1杯が800円。3時間を超えると1100円となります。コーヒーをお替りして2杯注文してもらえば、3時間まで1,000円。カフェでコーヒーを2杯飲んでいるのですから、決して高くはありません。

 例えば Cafe & Library が好きで、お昼から時間があるから、午後1から夕方の4時までここで過ごそうという方がおられたとして、何も注文されないのなら600円。コーヒーを1杯注文すると800円。お替りすると1,000円。食事メニューをどうするかとかはまだ考えていませんが、とにかく、何も注文しなくてもいいし、何か注文すればなんだか得したような気分になる。一方で Cafe & Library のことをよく知らない方が通りすがりに入ってきて、コーヒーを1杯注文すれば500円。そういう方はたいてい1時間ほどで帰られますが、たまたま Cafe & Library の雰囲気を気に入っていただいて長居をされたら、その時間に応じておカネをいただく。雰囲気が気に入っているのだから、シートチャージを取られることも納得されるはずです。

 そんな感じでいろいろ考えは巡るのですが、これは実際に Cafe & Library の形が見えてこないとなかなか決められない。出来上がった空間を見て、自分ならこの空間で過ごす時間にいくら払うか、自分で自分の値踏みをして、それで納得できるおカネの取り方をするしかないでしょう。