いまさら勤めていた会社のことをわるくいうつもりはないのですが、同じようなことはどこでも起きているように思うので筆を執りました。私が何に苦しめられていたのか。それを考えてここに至ったのです。
その会社では、とにかく「コミュニケーション能力」が重視されていました。コミュニケーション能力があれば何をやっても許される。コミュニケーション能力がなければ何をやっても報われない。そんな風土でした。しかし、その「コミュニケーション能力」の実態は「場の空気を読んで、それを乱さない」といったことでしかなく、正しいことを主張しようとしたり間違いを正そうとしたりすれば、たちまち「コミュ障」のレッテルを貼られてしまう。それが実情でした。
私の最後の職場での担当は経理関係の仕事でした。正社員3人と非正規雇用11人のチームでした。非正規雇用の人の中には数ヶ月で辞めていく人もいて、ほぼ常に採用人事が行われていました。派遣社員は人材派遣会社から派遣してもらうのですが、直接雇用の契約社員も「紹介予定派遣」という制度を利用して、求人は人材派遣会社に任せっぱなしでした。上長は、人材派遣会社が短期間で辞める人ばかりを送ってくると、不満の矛先をそちらに向けていました。たまたま上長の話がそのことに及んで、こんなことを言いました。
ぼくは、経理の仕事だからといって、簿記の知識だとか経理事務の経験だとか、そんなことは必要でないと言っている。強いて言うならコミュニケーション能力かな。
どんな仕事でもコミュニケーション能力は必要です。しかし営業や接客に比べて経理の仕事は、コミュニケーション能力というよりも、正確に仕事をこなす能力だとか論理的な思考能力だとか月末などの繁忙期でも冷静に根気よく仕事をしていく素養だとか、そういった能力がより求められる仕事ではないかと思うのです。コミュニケーション能力に自信がなくて営業や接客の仕事に就業することを躊躇する人でも、経理の仕事なら自分に向いているかもしれない、と考えて就く仕事かもしれません。採用する側もそうした適性を汲んで「この仕事はきっと貴方に向いていますよ」とアプローチすることで、仕事と人をマッチングさせられるのだと思うのです。上長の言ったことは、図らずも人が定着しない理由を明らかにしたものと言えます。
求人の段階で求められる能力や人物像が示されなければ、人材派遣会社も適切な人を紹介できません。実際には、豊富な経験や専門的な知識を持った方も来られていましたが、それが活かされることはありませんでした。特別な知識や経験は不要ということは、その人がそれまでに蓄積してきた知識や経験を否定することにもなります。経験や能力のある人にとっては、これは耐え難いことだと思うのです。
さらに言えば、「専門知識は不要」ということは、「誰でもいい」ということでもあります。実際にこの上長は、後任者の採用のことを「補充人事」といって憚りませんでした。採用された人が、自分がただの“穴埋め”なのだと感じても仕方がありません。
それでもなお「コミュニケーション能力」が求められる。そしてその実態は、当たり障りのない会話で場を和ませたり盛り上げたりすること、要するに上長にとって居心地のよい空気をつくることにほかなりません。それが、コミュニケーション能力さえあれば何をしても許され、コミュニケーション能力がなければ何をしても報われない職場風土を作ります。これは非正規雇用の方だけの問題ではなく、正社員の問題でもあります。そして上長もまたそういった風土の中で「コミュニケーション能力」を買われて上長になっているのですから、制度的・組織的に「確立された」風土といっていいと思います。
こうした状況は、決してひとつの会社だけの問題ではないように思えます。同じようなことが、私の勤めていた会社以外のさまざまな会社でも、経理部門以外の様々な職場で起きているように思うのです。そしてこの「コミュニケーション能力」偏重が、仕事そのものの質を、大袈裟に言えば日本経済の屋台骨を、あるいは社会全体を、政治の世界でさえも、少しずつ蝕んでいるのではないか。そんな不安を覚えます。
なぜこのようなことが起きるのか。この点については、あらためて考えてみたいと思います。
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