2025/08/29

仕事の尊厳

 聞きかじりの孫引きなのですが、哲学者のエマニュエル・カントが次のようなことを著しているそうです。

目的の国においては、すべてのものは、価格をもつか、それとも尊厳をもつか、そのいずれかである。価格をもつものは、何か他のものがその等価物にされる。それに対してあらゆる価格を超えていて、それゆえいかなる等価物も許さないものは尊厳を持つ。

 このごろの居酒屋の店員のほとんどは学生アルバイトです。短期間で入れ替わることを前提に、辞めたら次の人を「補充」すればいいと考えているのであれば、その仕事には「尊厳」なんてありません。時給何円という「価格」のついた仕事で、辞めていった店員の等価物はその時給で雇えるのです。同じアルバイトでも、少しでも長く活躍してもらって、お店の看板になってほしい、他のアルバイトに範を示すような人になってほしい、と手塩にかけて育てた人なら、代わりの人は簡単には見つかりません。そこには時給何円という「価格」を超えた「尊厳」がある。エマニュエル・カントが学生バイトが店員をしているような居酒屋に行ったかどうかは知りませんが、言いたいことはそういうことじゃないかと思うのです。

 非正規雇用の人が辞めるときの後任者の採用を、辞めていく本人もいるみんなの前で「補充人事は始めていますから安心してください」などと言って憚らない私の職場には、もとから「尊厳」などというものはありません。非正規雇用であっても、その人が積み上げてきたノウハウというものがあります。大なり小なり他の人ではすぐには代替できないことをしているのです。そのことに少しでも敬意を持っていれば「補充人事」なんて言葉が出てくるはずがありません。その人が辞めたら同じ給与で募集を掛ければいい。そんな考えが「補充人事」という言葉に如実に出ています。実務の多くを非正規雇用の人に委ねていながらその尊厳を認めない。非正規雇用の人が次々に辞めていく背景には、自分の努力が報われていない、リスペクトが払われていないという不満が少なからずあるはずです。

 尊厳がないのは正社員も同じで、「仕事は誰でもできるようしておかないといけない」という号令の下に、その人にしかできないような専門性は徹底的に排除されていきます。私は、いまの職場で私がいちばん優秀だとは思いませんが、私にしかできない仕事はいくつもあります。しかし、もうあと数か月で私は定年退職する。そのあとは、その仕事が「誰でもできるように」しておかないといけないのです。その責任は、仕事のクオリティを下げることではなく、その仕事の仕組みを誰でも理解できるように説明することで果たさないといけない。私のこの考えは間違っていないと思います。けれどこの会社ではこんな当たり前のことが通じない。

 私と同じような考えを持っていっしょに厳しい勤務を乗り越えてきたもうひとりの正社員は、すでに退職してもういません。上長からも「無駄な仕事」と断じられ、残業することも認められず、ひとり闇残業をして、誰も読んでくれないかもしれない引継資料を作っている。私は何をしているのでしょう。


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