2025/08/23

過酷な勤務

 少し個人的な話になるのですが、この数か月間は、開館に向けた心境の大きな転換点だったように思うのです。結果としては何も変わっていないのですが、いったんものすごくネガティブな気分になって、開館なんてどうでもよくなった時期がありました。それを乗り越えていく中で、昨年の海士町訪問以来、自分の中で問題になっていた「逃げ出す」のか「飛び出す」のか問題にも、自分なりの答えが出せたように思うのです。まだ少し気持ちの整理が付け切れていないところはあるのですが、この記事を書くことで自分なりに整理をしていこうと思います。

 ところで、この「逃げ出す」「飛び出す」問題に関して、1年以上前に、私は次のようなことを書いています。少し書き直しながら再掲します。

青木真兵さんは、配偶者である海青子さんとの共著『彼岸の図書館:ぼくたちの「移住」のかたち』(2019. 夕書房)の「はじめに」で、「この本は、…ほうほうの体で東吉野村へ逃げ込んだぼくらが、家を開いて図書館を作ったことで元気になっていった「リカバリーの物語」です」と仰っています。また『手づくりのアジール』では、大きな紙幅を割いて、「逃げる」ことの積極的な側面や必要性を述べておられます。例えば、対談者である栢木清吾さんの言葉を借りて

「逃げる」という行動は、現実と対峙しない、消極的で臆病な反応とみなされがちですが、それは積極的な意思表示でもある…自分が所属している組織なり、共同体なり、社会なりに、自らの行動を通じて「否」を突きつけることですから。(pp.40-41)

と仰っています。海青子さんは、これに応えるように

私たちが「逃げた」ことは、現代社会はもういられない場所なんだよということを伝える主体的な行動だったのだと、今お話を聞いて思えました。(p.53)

と仰っておられる。これにはとても共感するところがあります。けれど、言葉についている印象というのは、そう簡単には拭えるものではありません。

同じことをしていても、「逃げ出す」「逃げ込む」というとネガティヴなイメージになり、「飛び出す」「飛び込む」といえば積極的でポジティヴなイメージになります。

ただ、「飛び出す」ことに対しては「逃げ出す」ことよりもより強い勇気が必要です。現代社会の閉塞感の中で息苦しい思いをしている人に対して、「もうそこから逃げ出してもいいですよ」と言うのと「そんな世界からは飛び出してあたらしい世界を作ろう」というのでは、後者は確かに威勢がいいですが、一歩踏み出すのを躊躇しますね。

そんな他人から見たイメージなんてどうでもいいのかも知れませんが、妻を納得させないと開業資金が捻出できない身からすると、小さなこととして捨て置くこともできません。

 ちょうどこの記事を書いた直後ぐらいに会社で体制変更があったのですが、それがずいぶん杜撰だったのです。システム開発の失敗も重なって、年度末は猛烈な勤務。災害級の繁忙。毎日終バスまで残業。帰れなくなったら会社に泊まり、それが嫌でクルマで通うようにしたら11時ぐらいまでの残業が常態化。休日も闇出勤。もう疲れてクルマを運転する気力もなくなって会社に泊まったあくる朝、自分はいったい何をしているんだろうと思い退職を考えたのです。しかし、定年まであと1年ということや、定年後には「本の庵」をやろうと決めていることも考えて思いとどまり。結局は、これまで溜まりに溜まっている有給休暇を退職前に一気に取得するということで一矢報いることにしたのです。

 明日以降、話は長くなりそうですが、少しずつ、自分が置かれていた状況を整理していこうと思います。


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