2026/05/02

コンテキストと空気

 きのうの記事では、コンテキストがあることで、言葉以上の意味が伝わる事例を紹介したつもりです。記事を書きながら私自身も、「M-1グランプリ」と「デジタル・デトックス」のコンテキストがないとこんなにも面倒で非効率なコミュニケーションになるのかと実感しました。テレビ画面に映し出される俳優が持っているコンテキストによって商品を魅力的にプロモーションしているCMは、ユニクロやハズキルーペだけではないはずです。もしも番組の合間に挟まれるCMが、みんなテレビショッピングのようなものばかりだったら、きっとみんな疲れてしまうと思います。テレビを見る人がいま以上に減ってしまうかもしれません。

 ここで紹介したコンテキストは、日本という社会全体で共有されているものですが、もう少し小さな単位でそれぞれ別々に共有されているものもあると思います。よく「世代のギャップ」などと言われるものがあります。Z世代なら通じる話が私のような年配者には通じない。それは世代によってコンテキストが異なるからだと思うのです。

 もっと小さなコミュニティ、たとえば学校だとか会社といった単位でも、それぞれ固有のコンテキストがあると思います。毎日聞かされる先生の声を真似て何か言えば、それだけでみんなが大笑いになる。それは、その先生の声を毎日聞かされているコミュニティでしか成り立たないコミュニケーションなのです。当然、会社のような組織でも、何が肯定的に評価され、誰が言っていることが信用されるかという暗黙知が共有されています。同業であってもこうしたコンテキストが同じというわけではありませんから、それぞれの会社に「社風」というものが形成されていきます。

 こうしたコンテキストは、それぞれのコミュニティに属する人同士のコミュニケーションを、円滑で効率的なものにします。転校や転職で新しいコミュニティに入ろうとするときには、そのコミュニティのコンテキストを素早く理解し、そこで交わされているコミュニケーションを、表面だけでなく深層から理解していく。そういった能力が試されます。これは言い換えれば「空気を読む」ということです。ハイ・コンテキストなコミュニティで「空気を読む」ことが「コミュニケーション能力」と同義で扱われることには、それなりに理由があるようです。

 きのうの記事で例示した「コミュニケーション・デトックス」は「M-1グランプリ」というコンテキストがないと成り立ちません。「M-1グランプリ」を見ていない人はこの会話からは排除されます。同じようなことは学校や会社のコミュニティでも言えます。コンテキストを共有しきれていない人、つまり空気の読めない人は会話から排除され、延いてはコミュニティからも排除される。ハイ・コンテキストなコミュニティとは、円滑で効率的なコミュニケーションを可能とするコミュニティであると同時に、必死に空気を読まないと仲間に入れてもらえない閉鎖的なコミュニティだとも言えます。


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