2025/05/31

シン・コミュニケーション

 前回の記事で少し紹介しましたが、2月の祝日に、私が「お気に入りのカフェ」としてこのブログでご紹介した京都の読書カフェのマスターさんが、そのカフェのお客さんで自分もこんな店を作りたいと大阪で開業されたカフェのオーナーさんと私を誘ってくださって、勉強会なるものを開催してくださいました。「京阪津読書カフェ勉強会」と私が勝手に名前を付けたのですが、5月の祝日にも第2回の勉強会があって、いろいろ示唆に富むお話を聞かせていただきました。こういう内輪の話を、読者は少ないとはいえ「公の場」であるこのブログに軽率に書いてしまうのが私のわるい癖で、それが舌禍ならぬ筆禍を招いたりもするのですが、「本の庵」のコンセプトに少なからぬインパクトを与えてくださいましたので、このブログの趣旨からいって素通りするわけにもいきません。あとで自分が読み返して、「そうだ、あのときこんな話を聞かせてもらったなぁ」と振り返ることは、将来、何かで行き詰ったときに自分にヒントや励みを与えてくれるかもしれません。

 たまに「創業セミナー」などと銘打って、経営コンサルタントと言われるような方の話を1時間ほど聞いた後、グループに分かれて1時間程度のディスカッションするようなイベントがありますが、この京阪津勉強会のディスカッションは1回5時間以上! 思い出して書き出すのも大変ですが、読んでいただくのも大変かもしれません。いくつかのトピックを抽出して、何回かに分けて記録していきます。1回目は、標題にある通り、カフェでのコミュニケーションの話です。

 「本の庵」では「脱コミュニケーション」をコンセプトに掲げています。現代社会の煩雑なコミュニケーションからいっかい解放されることで自分を取りもどす。もちろん、人間が生きていくためにコミュニケーションは必要なのですが、私たちの生きる糧を得る方法が複雑になっていくのにともなってコミュニケーションも複雑になり、さらに過剰にもなって、それが生きていくうえでの重荷になっている現状もあると思うのです。だから「本の庵」ではできるだけ利用される方の「ひとりの時間」を大切にする。そのためにオーダーも取りに行かないし、水も注ぎに行かない。そんな話をすると、京都のマスターさんが、ご自身がまだ大手のカフェの店員をやっていたときの話をしてくださいました。

 そこの店では、最初にその客さんに水を出した店員が、最後までそのお客さんを担当することになっているのだそうです。オーダーも、水を注ぎ足すのも、片付けをするのも。だから、例えば、自分が注文を取って、いちいち「コーヒーの方?」などと聞くのは野暮だというのです。その客さんが別の日に来店したときは、別の店員が対応することももちろんあるのですが、以前に対応したことを覚えていると今度も自分が対応したくなる。そういえばこのお客さんは、前に来たときにはこの新聞を読んでいたな、と思えば、オーダーを取りに行くときにその新聞を持っていく。何回か対応していれば、そのお客さんの好みも分かってきて、ミルクや砂糖を使われるのか、熱いのがいいのか少し温めがいいのか、というようなことも分かってくる。そうやってそのお客さんの居場所を作ってあげる。それもコミュニケーションであって、言葉を交わすことだけがコミュニケーションではないというのです。

 これは腑に落ちる話でした。なぜ脱コミュニケーションなのかと言えば、自分と対話する時間、自分を取りもどす時間を提供したいからで、そのためには、その場所で自分が受け入れられているという実感が必要です。しかし、コミュニケーションを拒んでしまったら、その意図とは反対に、存在そのものが拒まれたような印象を与えてしまうかもしれません。

 ただ、内輪で盛り上がっているような雰囲気は作りたくないとのこと。それはそうです。開店して最初のうちは身内や知り合いが頼りなのですが、けれどそこで話に花が咲いてしまうと他のお客さんが入りにくい。なかなか難しいところではあるのですが、京都のマスターは、身内や知り合いには一切知らせずに開店したといいますから、筋金入りです。

 それにしても、どうしたらお客さんの顔を覚えられるのでしょう。マスターさんによれば、顔は覚えていなくても佇まいで分かるのだそうですが、マスターさんは本当によく覚えておられるので感心します。私が2度目に行ったときは、1度目から数か月経っているのに覚えてくださっていました。そう思いながら出していただいたコーヒーカップを見ると、スプーンもミルクも付いていない。いったい何回目からこうなったのかは思い出せないのですが、お客さんの中にもこういうところをよく見ていて、「お、覚えてくれたな」などと思っておられる方がおられるのかも知れません。

 カフェのコミュニケーションはなかなか奥が深いです。


2025/05/02

巡り会わせ

 いま勤めている会社で、私が定年退職後に「本の庵」を開館することや、そのための物件を購入したことを知っている人は一人しかいません。この2か月余り、私と一緒に過労死寸前の修羅場をくぐり抜けてきた相棒のような同僚です。私が平日に休みをとれば、その分、彼女に負担が行くのですが、私が物件の引き渡しのために会社を休むときには「いい日になるといいですね」と快く送り出してくれました。その彼女が言うのです。

本当に自分がやりたいことをしていて、それが価値のあることだったら、そこに必ずいい人が寄ってくる。

この間、商工会議所の方に教えていただいた不動産屋さんがとても親身に取引を進めてくださったことや、売主の方が近所の方に私のことをとても好意的に伝えてくださっていたことなど、人の巡り会わせに恵まれてきました。それは、自分がやろうとしていることが間違っていないという証だと彼女は言うのです。

 巡り会わせといえば、ずいぶん以前の記事で「お気に入りのカフェ」として紹介した京都の読書カフェのマスターから、勉強会をしませんかというお誘いをいただきました。あまり積極的な宣伝をされているカフェではないので、このブログで紹介することでご迷惑が掛かってはいけないと思い、ブログの中で紹介していることをひとことお伝えしておこうとお話したのですが、マスターはとても熱心に私の文章を読んでくださって、内容も好意的に受け止めていただきました。そのカフェのお客さんで私とは別の方が、自分もこんな店を作りたいと、大阪で昨年カフェを開業されたそうです。その大阪のカフェのオーナーさんと、京都の読書カフェのマスター、そしてこれから大津で私設図書館を開こうとしている私の3人で勉強会ですから、ほとんど私のための勉強会と言えるかもしれません。実際にお聞きした話も、このブログに書き出せば記事3本分ぐらいは軽くあるぐらいの重厚な内容でした。

 物件の引き渡しからこの勉強会までの2週間足らずの間、とにかく我武者羅にいろんなことをしてきました。いろいろ風呂敷を拡げてどれも中途半端という状態で、会社の仕事が災害級の繁忙期を迎え、身動きが取れなくなってしまいました。もう有給休暇どころではなく、平日も休日も私生活の入り込む余地がまったくない毎日でした。当然、家族のことも放ったらかしで、こういう時に妻との関係が拗れることも過去にはあったのですが、今回は協力的だったと思います。「本の庵」のことについても、これまでの妻はとにかく否定的で、開業までの最大の障壁になっていたのですが、この間、娘が取り持ってくれて、あまり否定的なことは言わなくなりました。

 こういういろんな巡り会わせは、「本の庵」のコンセプトである「脱コミュニケーション」の先にある「シン・コミュニケーション」なのかもしれません。こうしていろんな人に支えられているということは、自分の責任や覚悟とも表裏一体のもの。とにかく前に進むしかありません。


2025/05/01

一箱図書館

 話の順序は前後するのですが、不動産の取引をするには住民票が必要ですので、1月の半ばの平日にお休みをとって市役所に行ってきました。ハーブティの茶葉を卸してくれるお店に行ったのはその日。その道の途中で見つけたのが、今日のこの記事で紹介する一箱図書館です。

 京都の堀川通という通りに面した商店街の中にある knocks! horikawa さんが運営されている一箱図書館は、30センチ四方ほどのスペースを1ヶ月2,000円で貸していただけるところ。50区画ほどのスペースには、それぞれの借主さんが趣向を凝らして本を並べておられます。本を見ているだけで、その人の人となりや考え方が見えてくるように思えるのは一箱図書館のいいところ。私が行った時間にも、何人かの借主さんがおられて、本をきっかけにいろいろなお話を聞かせていただきました。

 次に行ったのは、藤ノ木の家の鍵の引き渡しがあった日。この日は、もし空きがあれば1区画をお借りしたいというつもりで行ったのですが、ちょうど1区画空いているということだったので、2月から借りることにして、2ヶ月分の「家賃」を払ってきました。そして2月になっていよいよ本を配架。どんな本を並べればいちばん自分らしいか随分と考えました。30冊ほどの候補を選んで自宅の本棚に並べてみる。「うん。よし」といったんは思ったものの、幅を測ってみると借りている区画に収まらないことが判明。さらに15冊に厳選。それを、おとといの記事で紹介したリブライズに登録して、本の喉の上のところにいわゆる天印を押します。図書館の本の上面に「○○図書館」とか、市立の図書館なら市のマークだとかのゴム印が押されているアレです。こんなゴム印もスタンプ台も、リブライズに蔵書登録するためのバーコードスキャナーも、みんなネットで買えるんですね。

 初めて knocks! horikawa さんを訪ねたときに、たまたまおられた方に「本の庵」構想をお話ししたら、ノートを置かれてはどうですか、と提案されたので、借りた区画にノートを置くことにしました。それと、これもこの配架に合わせて作った「本の庵通信」も置いて、これは自由に持っていってもらえるようにしました。この「本の庵通信」については、また後日ご紹介しようと思います。

 knocks! horikawa さんは、地域の子供たちの「居場所」を作ろうという施設のように思えます。平日の夕方から、子供たちを対象にしたクラブ活動のような取り組みをされたり、休日にいろんな楽器を演奏する音楽教室的なことをされたりしているところで、その施設の中に本箱が設けられて、平日の昼間を中心に一箱図書館が運営されているのです。もともと別々に活動されていた方が、地域の活性化や学びの場の提供というような共通の目的でゆるくいっしょになったような場所で、そういう成り立ちは、四角四面にコンセプトを前面に出している「本の庵」とは対照的なように思えます。お話を聞かせていただくと、そこに集まってくる人に合わせてどのようにでも形を変えていく「しなやかさ」を備えているように思えるのです。本当に芯のある人、強い意志を持っている人というのは、もしかするとこういう人なのかもしれません。どんな形になっても、そこに自分の意思があるという確信があれば、形にこだわる必要がないのだと思うのです。またここでも良い人と巡り合えました。