2025/04/26

自分はポンコツで死ぬしかない

  会社のことを書くと少々愚痴っぽくなってしまうのですが、この間、自分に何が起こっていたのかは、いずれ何かのカタチで書き留めておこうと思います。過労死や過労自殺と隣り合わせだったことも、時が過ぎれば忘れてしまいます。いつまでも心の中に留めていては、生きていくことの妨げにもなります。こんな会社はさっさと辞めて、こんなこともすっかり忘れて、新しい人生のステージに立とう。本当にそうだと思います。でも一方で、これは覚えておくべきことだとも思うのです。もし自分がいま死んだら、その死はどのように扱われるのか。これはこの間に何度も考えたことです。死因はありきたりな病名で説明され、自分のこの苦悩はなかったことにされるのか。しかし、どこかでその死を望むような、そんな毎日でもありました。そこからなんとか一命を取り留めて抜け出そうとしているこの経験をうまく活かせば、いまこの瞬間に過労死や過労自殺と隣り合わせに生きている人の何かの力になれるかもしれません。だから私は、この経験をどこかに書き留めることで決着を付けようと思います。書き留めたものを誰かに読んでもらえるように晒すかどうかは別に考えます。晒すにしても、会社を辞めてからかもしれません。このブログに書くことになるのか、1冊の本になるのかwww。もし本にするとすれば、こんなタイトルにしようと思います。

 自分はポンコツで死ぬしかない

 人を育てるチカラが失われているのは、私が勤めている会社だけではなく、世間一般に言えることなのかもしれません。実務の中心が非正規雇用の人たちに移り、正社員は実務を知らなくても、そのうえに乗っかるようにして仕事が出来ているような気分になれます。そこに場当たり的な異動や杜撰な研修などが重なれば、実務のことは何も知らないのに偉そうなことを言う一人前の正社員の出来上がり。その脆弱さが非正規雇用の人たちの退職や交代でいっきに表面化する。退職で穴が開けばそこを自分が埋めないといけない。交代で新しい人が来れば、仕事を教えていかなければいけない。けれど、自分が正社員としてその係に就いたときに前任者から何かを引き継いでいるわけではないし、それまで非正規雇用の人たちの上に乗っかっていただけだから何も分からない。毎日、自分は無能だ、ポンコツだ、こんなことも知らない、あんなことも出来ない、という事実と向き合わないといけないのです。無理解な上司、官僚的で非効率な業務分掌、機能不全の業務システム、そんなことが重なって災害級の繁忙を強いられる中で、自己肯定感がまったく持てない。そんな状況が、人を過労死や過労自殺に追い込むのだと思うのです。もしいま過労死や過労自殺と隣り合っている人がいるならこう伝えたい。

 あなたが仕事ができないのはあなたの所為ではありません

 もちろん、過労死にも過労自殺にもそれぞれ固有の事情があって、私がそのすべてに向き合えるわけではありません。それに、そんな極限の状態にある人に、私の話を聞いてくれたり、私の書いた文章を読んでくださったりすることを期待するのも無理な話です。それでも私は書きたい。自分を取り戻すために。傷つけられた自分の尊厳を取りもどすために。


0 件のコメント:

コメントを投稿