2025/01/26

サービス残業

 おそらく人生最後の「繁忙期」。課内体制の変更があってから終バスで帰ることもしばしば。これまで往々にしてこういう時に上司との関係が崩れてきました。最近は「働き方改革」などと称して、どれだけ仕事があっても涼しい顔で定時退勤することが推奨されていて、私のように、その日の仕事が終わるまでやりきるという働き方は疎まれがち。残業はきちんと申告せよとか、退勤登録はきちんとしろ、といった上司の言葉をその通りに受け止めて、真面目に残業を付けていたら「最近、残業が多いですから気を付けてください」と、暗にサービス残業を強いられたりします。自分の仕事のやり方が非効率的だとは思わないのですが、課内体制を変更して仕事が効率的になるはずだ、と信じて疑わない上司から見れば、目の前で残業している私が疎ましいに違いありません。こういう状況で上司との関係を良好に保つのは、かなり高度なコミュニケーション能力が必要ですが、「コミュ障」の私には望むべくもありません。

 「働き方改革」などという前は様子が違いました。確かに若い頃も「繁忙期」がありました。毎日、終バスで帰って、家に着くのは午前様。それでも翌日は普通に9時出勤とか、終バスにも乗れずタクシーで帰る日が続いたせいで、すっかり運転手さんと顔馴染みになり、「家まで」と言えば家まで送ってくれるとか、もう帰る気力もなくなって会社に泊まるとか、そんな時期もありました。その頃はサービス残業が当たり前。タクシー代も自腹で残業代もつきませんでした。同じ頃、民間に比べて待遇のわるい公務員の待遇改善のために、定時退勤しているのに残業したように申告して残業代をつけるというような慣行が組織的に行われていて「闇残業」と呼ばれていたのですが、いまから思えば、鬼のように仕事があるのに「ノー残業デー」だとか、組合との協定で月何時間までとかいう理由を付けて、残業代も払わずに、終バスが無くなるまで残業させることの方こそ「闇残業」の名に相応しいと思ったりします。それはさておき、その頃は、残業しているのはその人の仕事のやり方が非効率だから、などという声はほとんどありませんでした。目の前に山のように仕事があるのに、それを放っておいて帰ることを推奨するような風潮もありませんでした。いまより堂々とサービス残業が強いられていました。11時半に退勤登録しているのに残業を付けていない、というようなことが当たり前にありました。それはそれで問題かもしれませんが、「仕方がない」という諦めと、「そういうことはよくない」という認識は共有されていました。だから、残業していて上司との関係が拗れることもありませんでした。

 その頃といったい何が変わったのでしょう。

 部下に過度な残業させていることが「よくないこと」と認識されているのは、私が若い頃も同じなのですが、社会全体でそういう「瑕疵」を一切許さないような風潮が強くなり、上司は自己保身のために、部下が残業している原因を部下自身の仕事の仕方に押し付けて、自分が責任を問われるのを回避しようとする。上司が決めた課内体制の変更が少なからず今の状況の原因になっているのですが、そういう瑕疵は許されないから、上司はけっしてそれを認めません。

 過労死なんて言うのが問題になると、そういうことを起こさないための仕組みが何重にも張り巡らされて、サービス残業も思うようにできません。「人にやさしい」とか「従業員を大切にする」などという言葉自体が、その会社の商品のように社会に発信され、やさしくないところや大切にしていないところは、ないものにしなければいけないようになり、以前にも増して「闇」の中に隠されていく。以前に比べれば、隠すことも難しくなっているので、例えば、仕事の途中でもいったん定時に退勤登録をしてから続きをするとか、そこそこ巧妙な手口を使わないとサービス残業も出来ません。なぜそこまでしないといけないのかと馬鹿々々しくもなります。けれど、その日その日の仕事をやりきらないと先生に迷惑を掛けたりしないとも限りませんので、やっぱり残業しなければならない。

 このところ睡眠不足のリボ払い状態で、毎日、睡眠不足が溜まっていきます。こんな状態で開業準備なんてできるのかしら。ちょっと不安になってきます。


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