2024/06/09

承認欲求 再考

阿比留久美. 2022. 『孤独と居場所の社会学. なんでもない"わたし"で生きるには』. 大和書房.

 先日、彼岸の図書館に行ったときに、たまたま座ったソファーの前のテーブルに置かれていた本です。この本を手掛かりに、あるいは、この本との出会いを手掛かりに、もういちど承認欲求について考えてみようと思います。

 以前の記事で、こんなことを書きました。

この Cafe & Library を利用する人の視点で、その人たちの承認欲求をどう満たしてあげられるのかという視点。でも、これは出来ません。なにせ「脱・コミュニケーション」を掲げているのですから。コミュニケーションなしに承認欲求が満たされることは考えにくい。もしかすると、その空間の雰囲気で「自分が受け入れられている」という印象を得て、そのことによって承認欲求が満たされることがあるかもしれません。

これを蒸し返して、もういちど考えてみます。冒頭に紹介した本のタイトルにもなっている「居場所」という概念は、私が作ろうとしている Cafe & Library のコンセプトにとても近い。「居場所」というのは、自分が承認される「場」だとか「関係」だとか「活動」なんかのことでしょう。それじゃ「自分が承認される」とはどういう状態なのか。究極的には、自分の価値観や考えが受け入れられるということだと思うのですが、その手前にはいくつものハードルがあります。まず、自分の話を聞いてもらわないといけません。そのためには自分に関心を持ってもらわないといけない。相手がいくら自分に関心を持ってくれていても、いざ自分の考えを言おうとするとうまく表現できなかったり、うまく伝えられなかったりします。そもそも自分の考えていることを言語化することはとても難しい。そんなことが出来る人、そんなことが出来る場面は、ごく限られていると思うのです。多くの場合、自分がどうしてこんなモヤモヤした気持ちでいるのか、なぜ最近こんなにイライラするのかというようなことは、自分でもわからなかったりします。いや、「モヤモヤ」「イライラ」「理不尽」「孤独」「疎外」などという言葉ですんなりと説明ができるような場面なんてないのかも知れない。親しい人に対して「あの人は私のことを理解してくれない」などと独白した経験は誰もが持っていると思うのですが、そのときの自分の気持ちを自分で理解できているかと言えば、それはどうなのでしょうか。

 彼岸の図書館で自分が受け入れられているように思えたのは、そこにある本が自分の考えていることを代弁してくれているように思えたからかもしれません。それは承認欲求を満たすための最初のハードルかもしれない。冒頭の本と出合った日も、テーブルの上に「私が読むべき本」としてこれが置かれていました。テーブルの上でなくても、書架を注意深く探せば、自分の考えていることを代弁してくれる本はたくさん見つかると思います

あなたが考えていることはこんなことではないですか。

まるでそう語り掛けてくるようにです。それは本の著者や、その本を私のために用意してくれている司書との間接的なコミュニケーションだと思うのです。自分の持っている本を公開するのは、自分の価値観や考え方を公にするのと同じです。それを見て、「自分もそう思う」とか「この人はこう思うのか」といった感想を持つことは、もはやコミュニケーションの始まり。その本を手に取って読むとなると、さらに深いコミュニケーションだと思うのです。そしていくつかのハードルがクリアされて、そこに承認欲求が満たされた思いが生じることで、そこが自分の居場所となる。

 こういう蔵書構築は、公共図書館ではなかなか出来ません。司書が自分の考えや価値観で選書するのは御法度です。でも私設図書館なら、こういう可能性が拡がると思うのです。彼岸の図書館には、運営されておられるご夫婦が手に取られた本ばかりが並べられています。中立性とか網羅性とか、そういうことは二の次。いやむしろそんなものはない方がいい。偏りがあるからこそ特徴的な蔵書を構築することが出来る。運営されておられる方の価値観や考え方を色濃く反映したコレクションになる。これが私設図書館の魅力だと思うのです。


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