2025/06/04

本の庵通信

 京阪津読書カフェ勉強会があったのは2月の祝日ですが、その前の週末から、京都の堀川通にある一箱図書館をお借りすることになりました。それで、そのスペースで「本の庵」の宣伝もしようと目論んで、フライヤーの代わりにこれを置いておこうと思って作ったのが、この「本の庵通信」です。実物をご覧になりたい方は、京都市上京区の knocks! horikawa さんを訪ねられるか、「本の庵」が開館してからご来館いただければ、10部ぐらいまとめてお渡しできると思います。

 それはさておき、いまは便利な世の中で、こういう印刷物をネットで簡単に予約できて、しかもコピーよりも安い値段でできてしまう。仕上がりもカラーでコート紙だし、一見すると素人が作ったとは思えないような立派なものが出来上がってきます。開館までに配布するつもりで300部を作成し、knocks! horikawa さんに50部ほど置かせてもらって、意気揚々と勉強会に臨んだのですが、先輩カフェオーナーのお二人の反応はいまひとつ。うーむ。プロの目には適わなかったか。そこで勝負は着いたのですが、でもどこが駄目なのかヒントが欲しくてご意見を伺うと「右脳に訴えるものがない」とのこと。何ごとにも理屈っぽい性格が災いしているのは明らかなようです。例えば、今日、帰りのバスでこれがシートに落ちていたとして、拾って読もうと思うかとか、家に帰ってリビングに置いてあったら読もうと思うか、という問題で、書いてあることが面白かとか共感できるかというのはその後の問題だというのです。それに、お店のイメージが伝わらない。これはたぶん、まだその段階でお店のイメージを私が持っていなかったからだと思うのです。木造校舎のイメージが降りてくるのはその2日後で、この段階では通信教育のテキストから借りてきたイメージでしか自分の店のイメージを捉えられていませんでした。だから、なんとなく出来上がっている感じ、なんとなくスマートな感じだけがあって、何がしたいのかがよく分からない。「出来過ぎている」というのです。もっと手作り感のあるフォントにするとか、クラフト紙を使うとか、手書きイラストを付けるとか、いかにもあの店のものだなぁと分かるような体裁にしないと、お店のイメージを台無しにしてしまう。なるほどごもっともです。

 このご意見も、昨日の記事で紹介した木造校舎のイメージを引き出すのに一役買いました。自分が学校に通っていたころの印刷物は、ほとんどがわら半紙に輪転機で印刷したもの。文字も手書きでした。お店のイメージが木造校舎とすれば、この「本の庵通信」のモチーフは、担任の先生がつくる学級通信。「本の庵通信」は、右脳に訴える要素がないだけでなく、内容もどこかお説教ぽっくて、左脳にも拒まれそうなのですが、「学級通信」なら多少お説教ぽっくても受け入れられるかもしれません。

 それじゃ私は担任の先生? 白衣でも着ていようかしら。


2025/06/03

店を支配する

 これも京阪津読書カフェ勉強会で京都のマスターさんから出てきた言葉です。支配すると言っても、細かいルールを決めてお客さんに守ってもらうことではありません。その店のすべてのことに責任を持つこと。言い換えると、その店のすべてのことについて、なぜそうなっているのかを説明できることを「支配する」と仰っているのです。例えば、なぜそこに観葉植物があるのか、なぜ文庫のブックカバーを取ったのか、なぜこのコーヒーカップなのか。それを全部自分は説明できると仰るのです。

 店の内装工事は知り合いに頼んだそうなのですが、出来上がった感じやスマートな感じにではなくて、そうじゃない感じにしたかったと言います。カウンターは作ってもらったけれど、ニスは自分で塗って、そこにやすりを掛けてあえて斑を出し古い感じにする。角も擦れたように丸く削る。それは、通信教育のテキストを読んでイメージしていた自分の店とはまったく違うイメージです。テキストに書いているのは、白を基調とした清潔なイメージだとか、パイン材を使ったシンプルなイメージだとか、黒やダークカラーを基調にした重厚なイメージだとか、そういうことなのですが、マスターさんが仰るのは、「スマートな感じではないイメージ」「出来上がった感じではないイメージ」と言語化の難しいイメージなのです。果たして知り合いに頼むときにどう言って頼まれたのでしょう。あるいは、最後は自分がやるから言語化する必要はなかったのかもしれません。

 「本の庵」は50㎡の一軒家。内装だけでなく外壁も庭も自分の支配下に置かないといけないと思うとたいへんです。例えば、靴を脱いで上がるのか土足にするのか、いまは畳の部屋ですが、これをいったいどうするのか、決めることはいっぱいあります。果たしてすべて説明しきれるのでしょうか。ふと京都のそのカフェの床を見ると、無垢の板敷。私が通っていた小学校の床はこんな感じでした。こういう床にするのがいいのか。それにしても、そうしてほしいということをどうやって工務店さんに伝えればいいのか。そんなことを考えていた勉強会の2日後のこと。会社に向かうバスの中で突然イメージが降りてきました。

 昔の学校みたいな床。木造校舎のような床。
 そう言えば工務店さんに通じるだろうか。
 そうだ。床だけじゃなくて、全体をそんなイメージにできないだろうか。例えば、机や椅子も本棚も。壁には黒板を作って、そこにメニューを書いたらどうだろうか。外壁もそれらしく設える。学校で本と言えば二宮金次郎。庭に二宮金次郎がいていっしょに本が読めるのはどうか。いや、これは妻に全力で阻止されているのですが、自分ではわるくない発想だと思って、心の抽斗の奥の方に仕舞っているところ。実際の木造校舎を使う訳ではないので、紛い物には違いないのですが、そのイメージを借りて自分のイメージを膨らませていくと、なぜこんな内装なのか、なぜこの什器なのか、なぜこの食器なのか、ということに、ひとつひとつ説明を付けられそうな気がします。きっとそれは、通信教育のテキストから借りてきたイメージで支配されている空間よりも「本の庵」に相応しい空間だと思いますし、スタバやコメダの代用ではない、まったくこの世にはない空間にできるかもしれません。


2025/06/02

ポジションを取る

 勉強会と銘打って、すでにカフェを経営されている方のお話を聞いて、やはり気になるのは、本当に収支が取れるかということ。あまり気にしたくはない、というか気にしている素振りは見せたくはないのですが、素通りするわけにもいきません。京都のマスターさんは、開業したときに「ぜったいに売れるという不思議な自信があった」と仰います。「1日4~5人しか入店客がいないときでも平気だった。ただ、それを上回るのが世間」。きっと入店客ゼロが何日か続くこともあったのでしょう。「でも、このやり方で間違いないと信じるしかない」。そこはなかなか潔い。「ダメだったら生活保護でも受けて食べ繋ぐ」。まあこのあたりの考えは、5年先には厚生年金をもらえるとおもって妙に余裕をかましている自分と変わらないのかも知れません。

 京都のこのカフェは、週3日しか開いていません。私は以前にこのブログで、奈良県東吉野村で私設図書館をされている青木真兵さんの言葉を借りて、生活の糧を得るために何か仕事をしつつ、でも本当は図書館の館長とかカフェのマスターというような二重生活もわるくないというようなことを書いたことがありますが、このマスターさんはカフェを休んでおられる間に他の仕事をして収入を得られているわけではないそうです。仕事ばっかりしていると、新しく自分にインプットされてくるものがなくなって、アウトプットが枯れてしまう。だから、店を開けていない日はインプットの日なんだそうです。これは、この2月の勉強会のあと災害級の繁忙期で私生活を失ってしまった今となっては本当によくわかります。4月も後半になって、少し仕事が落ち着いて時間が出来ても、しばらくこのブログの更新はできませんでした。書こうとしている内容は2~3か月前のことですからネタとしてはあるのですが、文章が思いつかないのです。やはりインプットがなければアウトプットはできない。銀座のホステスさんは新聞を何紙も読まれると聞いたことがあります。自分のお店を開くということは、お店の開いていない日も店長さんなんですね。いろいろ考えさせられました。

 実は京都のこのカフェ、最近、営業日数を減らされたのですが、売り上げはかえって増えているのだそうです。「いつでも行ける」というより「今日行かなければ」と思わせるところがポイントみたいです。私も先日、取らなければいけない休みがあって、このカフェの営業日を調べて、それに合わせて休みを取りました。お客さんの生活の中で、このカフェに行くことのプライオリティを上げる。例えば、店が営業している日を中心にお客さんが計画を立てる。そういうことを称して「ポジションを取る」ことが大事だと仰るのです。

 ちなみにこのカフェ、会員制に移行したときに、コーヒー1杯が520円から800円に値上げされました。けれど入店客数は減らなかったそうです。客の立場で言わせてもらえば、誰もこのカフェに行って値段を計算しながら注文なんかしていないんですけどね。

 スタバとコメダとタリーズが並んでいたら、どこにしようかなと迷うかもしれません。けれど、京都のこのカフェの隣にスタバがあっても、そこに入ろうとは思わない。たまたまマスターさんが風邪か何かで臨時休業になっていたとしても、このカフェを目指してやってきたお客さんが簡単にスタバに流れる訳でもないように思うのです。そういう価値が「ポジション」なんじゃないかと思うのです。「本の庵」にもそういう価値ができるといいのですが。


2025/06/01

ご予約席

  話の順序は前後するのですが、シン・コミュニケーションの話から、2回目の京阪津読書カフェ勉強会のときに話題になった「ご予約席」の話をしようと思います。

 2回目の勉強会は大阪でした。午後からだったので、京都のマスターは、午前中に大阪の天満橋にある大型書店に行ってから来られてそうです。マスターが言うには、「カフェでも本屋でも、なにか二つ「惹き」がないと行かない」のだそうです。カフェだったら、店長の人柄がいいというのは必須条件で、もうひとつ、例えばコーヒーがものすごく美味しいとか、コーヒーはいまいちでもフードメニューが豊富とか、何かもうひとつポイントになるところが必要なんだそうです。書店であれば、欲しい本があるだろうという期待が持てるというのが必須条件なんだけれど、やはりもうひとつ何かポイントが必要で、天満橋の書店の場合は、そこに行くときに京阪電車のプレミアムカーに乗れるというのがポイントなんだそうです。どうやら、必ずしもそのカフェや書店の提供している価値だけがポイントではなさそう。

 それをいうと「本の庵」もそういう外部要因でポイントが稼げるかもしれません。「本の庵」の最寄り駅は京阪石坂線の松ノ馬場駅。この京阪石坂線は、鉄道マニアならずともなんとなく乗ってみたいと思わせる魅力を持っていそうです。でも、わざわざ用事もないのに乗りに来るのは相当な鉄道マニア。大津まで来たからついでに京阪石坂線に乗っていこうか、などと思う人はそれほど多くはないでしょう。けれど、「本の庵」に行くなら乗る理由ができます。わざわざは乗らないけれど「本の庵」に行くついでなら、いや京阪石坂線に乗るついでに「本の庵」に寄ってやろうか。どちらでもいいのですが、それが「惹き」になるかもしれません。最初はそんなことを考えずに、ただ、駅から歩ける範囲でって考えていたのですが、松ノ馬場は終点のひとつ前ですし、そこまでくるのが「わざわざ」なので、それに魅力を感じてくる人に期待できるかもしれません。

 話題は京阪電車のプレミアムカーと阪急電車のプライベースの比較という鉄分の濃い話から、「お店にもプレミアムカーみたいな空間がつくれないか」という話題に。つまり500円余分に払ってもその席に座りたいと思わせるようなプレミアムな席。でも、他の席がいっぱいで、別にその席に座りたいわけじゃない人が来たときにその席しか空いてなかったら、なんとなく余計なおカネを払わされたような気分にならないだろうか、などとかんがえると躊躇してしまうのだそうです。それは確かに。それじゃ予約制にすれば確実に好みの座れるのだけれど、予約しないで来た人が座ろうと思っている席に「予約席」の札があると、ひどく自分が低く扱われたように思われてしまう。それに、客の立場で言うと、京都のこのカフェには待っていてほしくない。反対に言うと、いつでも迎えてくれるように開いていてほしい。だから、予約をしてマスターを待たすということをしたくない。予約という行為で自分を縛りたくないし、マスターも縛りたくない。いつでも自分の好きなときに行っていいし、いつ行っても迎えてくれる。それが客から見たときのその店の価値なんだ、というのが、二人のコア・カスタマーの一致するところでした。マスターさんからすると、お客さんが来るのは嬉しいし、いつも「あの人が来てくれないかな」と待っているのだけれど、あえてそういう素振りを見せずに冷静に迎えている。予約制にするとそこの迎え方が微妙に変わりそう。ふむふむ。それも何となくわかる気がします。