昨日の記事で紹介した娘の言葉をきっかけに、「働くこと」と「おカネ」の関係について考えました。
そう考えると、私が定年を機に会社を離れ、「収入」や「地位」とは無縁の生き方をしようとすることに、妻が強く反発する理由も見えてきます。妻にしてみれば、夫の収入によって蓄えられた資金によって約束されるはずの老後の安定した生活に、自分も家事と育児を通して貢献してきた、と思っているのでしょう。そこに全く別の価値観が持ち込まれるわけですから「梯子を外された」ような感覚なのかもしれません。
私の思いとしては、「働くこと」と「収入を得ること」を切り離して考えてほしいのです。感覚的なことですが、お金と切り離されたところで社会的に意義のある活動をしているのは、女性の方が多いように思います。
たとえば、子ども食堂や地域のボランティアなど。
一方、男性の多くは「職業=収入」と強く結びついていて、「それでいくら稼げるのか」という尺度から自由になれない。自分の存在意義を地位や収入に関連付けて考える。その枠から出ない限り、自分のしていることの本当の価値が見えにくくなるのです。
家庭に入った女性もまた、夫の収入を支える形で自分の役割を見いだしている限り、「お金」と無縁ではいられません。だからこそ、夫が定年後に会社勤めを辞め、「お金がヒトを回す構造の外側」で生きたいと言い出すと、違和感を覚えるのだと思うのです。
おカネには確かに人を幸せにするチカラがあると思います。すべての財貨やサービスが商品としておカネと交換できる社会にあって、おカネなしで幸せになるのは難しいことかもしれません。けれどおカネがあれば幸せになれるのかというと、そうでもないような気がします。そこにオルタネイティブな価値観を示す。「本の庵」でやろうとしていることをカッコよく言えばそういうことかもしれません。
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