2024/09/10

強いられた主体性

 私たちは、子供の頃から「主体的」に生きることを強いられてきました。小学校の学芸会でクラスの出し物を決めるときもそうでしたし、クラブ活動もそうでした。きのうの記事では、立場の強い人が立場の弱い人の仕事を理解しないまま、仕事の指示を出したり、日々の仕事で生じる問題を解決していく責任を立場の弱い人に転嫁しているという話をしましたが、立場の弱い人からその矛盾を突かれたときの常套手段に用いられるのは、「あなたはどうしたいの」とか「じゃ、どうしてほしいの」というような主客逆転の台詞です。弱い立場で、言われたことを言われるままにしていたところに、いきなり「主体性」が持ち込まれるのです。こういうときは高度なコミュニケーション能力が試されます。言葉通りであれば、自分の意見が求められていて、その意見が取り入れられる余地があるように思えます。しかし、たいていの場合は答えは決まっていて、ただ、それを言っている人が答えを知らないだけなのです。答えを間違えると不興を買い、答えられなければ、それはそれで不興を買う。世の中に主体的にやっていいことなんて、ほとんどないのです。

 そもそも私たちが信奉する「主体的」とか「主体性」という言葉はどういう意味なのでしょうか。ほとんどの大学の図書館には JapanKnowledge という事典や辞書のデータベースがあるので、それで調べてみました。「主体的」とは、「他に強制されたり、盲従したり、また、衝動的に行なったりしないで、自分の意志、判断に基づいて行動するさま。自主的。」※1、「主体性」とは、「(1)行動する際、自分の意志や判断に基づいていて自覚的であること。また、そういう態度や性格をいう。(2)現代哲学で、存在論的に意識と身体をもつ存在者であるとともに、倫理的、実践的に周囲の情況に働きかけていく個体的な行為者であること。自己の意志で行為しながら、真の自己自身を実現していく態度。実存であること。」※2とされています。

 もうお判りでしょう。「主体的」であることをや「主体性」を強いられるというのは、言葉の中に矛盾があるのです。「他に強制されたり、盲従したり、また、衝動的に行なったりしないで、自分の意志、判断に基づいて行動する」ことが「主体的」なのですから。

 そもそも「~性」だとか「~的」という言葉は、ときとして「~のような様」だとか「~のように見えるもの」という曖昧さを持っていて、話し手が都合よく使うことが多い言葉です。そこに、その言葉の話し手と受け手の間の立場の違いがあって、立場の強い側から弱い側に「主体性」を求めるときは、その立場の違いを覆い隠しながら、本来は立場の強い人間が負わなければならない責任を、立場の弱い人に転嫁する危険性をはらんでいます。自分がどうしていいか分からないことに対して、立場の弱い人に答えを求め、自分はその答えに対して諾否を決めるだけでいいという「お気楽」を決め込んでいたり、本来は自分が提示しなければならない解決策を示すことができないゆえに、立場の弱い人に解決策の提示を求めていることが少なくないからです。

 スポーツ系のクラブ活動に例えると、生徒の自主性なんて屁とも思っていない厳しい監督がいたとして、その監督に言われた通りに練習をして、試合でも言われた通りにプレーしているのに、どうしてもライバル校に勝てないという問題に直面した生徒が、その問題をどうやって解決すればいいかを監督に訊くと「自分たちで工夫して練習しろ」と言われる。「自分たちで考えて練習しようとか、試合の中でも、ここで自分はどうするべきかを自分自身で考える主体性がないから勝てないんだ」などと、他人が見れば、どの口が言うかと思うような言葉が出てくる。でも、生徒たちは監督に言われた通りに行動するように仕向けられてきたので、監督が「主体的に考えろ」と言えば、「主体的に考える」ことを強いられる。

 スポーツの試合に勝つか負けるかという問題ならそんなことでもいいですが、例えば、限られたコストの中で、政府や業界団体が決めているさまざまな基準をクリアしなければいけない、といった問題に直面している人がいたとして、その責任を非正規雇用の社員や下請け企業に転嫁したらどうなるでしょう。その人たちにしてみれば、検査の仕方を工夫するしかないのですから、検査の不正といった問題に発展するのは必定です。自動車が衝突などの事故に対して所定の耐性を持っていないとか、建物が地震で簡単に崩れたり火災で簡単に燃えたりするとか、そういうものが社会的に供用されることにつながります。大学の仕事でも、学生の人権や補助金の扱いに関するような不祥事が発生しないとも限らない。そしてそういう問題が発生したとき、立場の強い人はいつも「私は指示していない」と言い逃れをし、責任は立場の弱い人に転嫁されるのです。

 これも「カネ」の論理が行きついた先に生じた矛盾だと思うのです。そして、その矛盾を他に転嫁できる立場の人と、自分で背負い込まなければならない人がいる。そのことを思えば、立場的には他に転嫁することが出来ても、良識がそれをさせない人もいる。いま。会社でいちばん苦しんでいるのは、そんな人かもしれません。


※1("しゅたい‐てき【主体的】", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com ,参照 2024-09-05)
※2("しゅたい‐せい【主体性】", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, ttps://japanknowledge.com ,参照 2024-09-05)



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